新しい言葉への抵抗感

新語の話を引っ張ります。

今年新たに辞書に載った言葉に「にわか」がありました。もちろんもともとの意味のほかに、「その時だけ関心を持つ人」とか「関心を持って間もない人」という意味合いを持つようになっててそれが載ったそうで。関心を持つことに対して期間で区別する理由ってのがいまいちわからなくて、そういう空気がなんだかイヤだなあ、と思っちまっています。期間が長かったりすれば知識量が多い可能性がありますが、期間の長短や知識量の多さで関心を持つことに関して区別し優劣のようなものが決まるのもなんだかおかしいような気がしてならなかったり。ただ、根っこに不安からくるなんでも優劣のようなものを決めたい心理というのがあるのかもしれなくて、関心を持って間もない人という他人を鏡にして、差異を確認しておのれの存在を確認してるのかもしれぬのですが。「にわか」という言葉に関してなんだかこの国を覆う不安の深さを感じてますって、私が書くと誇大妄想的になるのですけど。

辞書には載らないだろうけど、新語でもなんでもないかもしれない最近知った言葉の用法に関する、とてもくだらないことをもうひとつ書きます。

少し前にcitrusという、義理の姉妹の恋愛というまるでおっさんが読むべきものではないマンガを読んでいたことを書いた記憶があるのですが、そのなかで二人が浴衣を着て夜デートが決まる場面があり、そこでギャルである主人公のひとりが「浴衣で夜デート!!最高かよ!」と心の中で叫びます(in fear of love)。「〇〇かよ!」というのは長いこと悲嘆というか想像と違ったことに関しての文句であるとかそういうようにとらえていたので、まるで別の意味の零れ幸いの感嘆として「最高かよ!」というのがとても新鮮で興味深かったです。ギャル語かもしれないのですが。

話を無理やりまとめると、知らないところで思いもよらぬ言葉の新しい用法って生まれてるのだなあ、と。と同時に「にわか」も「最高かよ!」もなんとなく不思議と口にするには抵抗感があって、新しいものを受け入れにくい程度に頭が固くなってるのかも、と自覚しています。おっさんになってしまったのだなあ、と。