「だから」「ですから」について(もしくは『防衛事務次官冷や汗日記』を読みながらのメモ)

たぶん前にも書いたはずなのですが社会人になってそれほど時間が経過していなかった頃、直接の命令系統には属さぬもののなにかと目をかけてくれたKさんという先輩が居ました。私が関係していたことで手こずっていたときにそのKさんがアドバイスをしてくれ、そのときつい「すいません」と口にしてしまっています。それを聞いたKさんは「あんな、お前悪いことしてるわけやないんやったら、そうそう簡単にすいませんとか口にすんなや」という趣旨の忠告を私にしています。時間を使わせてしまったことからくる詫びの言葉だったのですが、まずは謝意を述べるべきだったはずです。咄嗟のひとことについて深くは考えずに出てくることが恥ずかしながら私にはあります。

いつものように話が横に素っ飛びつつ、はてな今週のお題「最近読んでるもの」を引っ張ります。

いま読みかけなのが『防衛事務次官冷や汗日記』(黒江哲郎・朝日新書・2022)という本で、冷戦下の「存在する自衛隊」から冷戦終結後の「活動する自衛隊」への転換期を文官として支えた元官僚の記録で、基地返還等についての記述もあってそこらへんは本書のキモだと思うのでそれらは本書をお読みいただきたいのですが、なによりも失敗談等の記述を包み隠さずけっこうな頁数に割いているのがもうひとつの特色です。

その中でいちばん印象深かったのが著者本人の失敗ではないものの防衛官僚の失敗事例として質疑応答ついて書かれていた部分です。

国会担当審議官は、防衛省関係の与党の部会にはほとんど出席します。そうした場で原局原課の説明ぶりを聞いていてとても気になることがありました。質疑応答の中で役所側が「ですから」と「だからですね」という言葉を使うたびに、確実に会議が冷えてゆくのです(P149)

なぜそうなるのかが気になっていたある日、著者はドライバーへの暴力に悩むタクシー会社へ取材した報道番組を視聴します。

それによると、運転手さんのある言葉が客をイラつかせ、怒りをエスカレートさせるのです。それがまさに「だから」と「ですから」でした。(P149)

それらを踏まえ、「だから」「ですから」を多用すると、質問者に対して「さっきから説明してるじゃないですか」「まだわかりませんか」といってるのと同じであると指摘し(P150)、本書では些細な言葉づかいで怒りを買うのは愚の骨頂であってこれらのことに気が付いてから著者本人も「だから」「ですから」などの言葉をできるだけ使わぬように意識した、と綴っています。

ここで我が身を振り返ると「だから」と「ですから」を使って誰かを怒らせたことはおそらくなかったはずなのですが、Kさんとの会話を含め咄嗟の一言は私は深くは考えてないことがあったので、それは偶然に過ぎず、上記の部分を読んでいて冷や汗こそ出ないものの思わず「あっぶね」と口にしてしまっています。

他にも調整が必要なことを一人で抱えてしまったことからくる失敗であるとか読んでいて「あ゛あ゛あ゛」となってしまう記述があったりします。本書はわたしにとっては気軽な読み物でははありません。いまちょうど半分くらいですが、最後まで読み通す予定です。