「近視=気が利かない」説

くだらないことを書きます。

ここしばらく週一で水曜の毎日の朝刊に現役の医師の歴史に関する連載が掲載されていて、朝にあんまり時間がないにもかかわらず毎回つい読み耽ってしまうのですが、今朝の朝刊は死期が近づいた秀吉についてでした。詳細は毎日をお読みいただくとして死因は断定できないものの資料から不整脈の症状があったことを指摘していて、どうする家康では笑いながらこと切れる演出でしたが、不整脈は突然死もありますからあんまり間違ってなかったのかもしれません…って秀吉の話をしたかったわけではなくて。

先週は明智光秀についてで肖像画を基に彼は近視だったのでは?説を紹介しています。近視ゆえに表情をよみとることができずに信長の不興を買うことが多く、対して秀吉は光秀ほど目が悪いわけでは無かったので表情を読み取り機敏に気が利く対応ができたのでは?という趣旨で、なんとなく説得力があるように思えるものの、目が悪いとなると光秀が鉄砲の名手であったこととの整合性がつかないことも指摘していました。カルテがあるわけではありませんから、もちろんほんとのところはわかりません。

いつものように話は横に素っ飛びます。

私は乱視ですが近視も入っています。先週の上記の記事が妙にひっかかってて、それほど気が利くタイプではないことは彼氏やかつて仕えた上司などにそれとなく云われたこともあったので「ああおれは気が利かないタイプなのは近視のせいなのか」などと腑に落ちかけたのですが、そのロジックだと「近視の入ってる人間=全員気が利かない」ことに近接してしまいます。でも気が利かないほうではあるのは確かで、先週から気をつけようかな…などと思っていました。

勤務先ではエレベーターを使うことがあって、昨日の退勤時には行きがかり上操作ボタンのそばに居ました。ドアが閉まろうとしたときに向かってくる人が居たので開ボタンを押し、乗ったあとに閉ボタンを押しています。ところが扉が閉じたあとエレベーターが動く気配がなく階数ボタンを押してないことに気が付き「ふふっ」という密かな小さな笑い声が聞こえる中、あわてて押しています。図らずも「近視=気が利かない」説の補強をしてしまってます。

近視を含め視力が人間形成に影響するというのを笑い飛ばしたいところなのですが、いまのところ否定する材料を持ちません。もっともまかり間違って天下をとったとしても三日で終わると思うので世の中に大した影響はないと思うのですが(異論は認める)。