ブレーキ

メモのようなもの。


世の中には裏金ってのがあって、その作り方なんてのがあるわけっす。作り方はたいてい口伝です。勤務先でも部署によってはそういうものがありました。私は係わり合いのないセクションの話だったのですが、その裏金を作り方が巧妙で「ははーなるほどなー」って感心したことがあります(感心しちゃいけないのですが)。で、すべて返金させてちゃんと処分が下ったこと・そのセクションの人が裏金作って遊んでたわけではなかった(らしい)ことをきいたのですが、単なる資金管理のルール違反ってだけじゃなくてなんか底のほうで何かが崩れてるっていうかブレーキが壊れてるようなまずいことが起きてるんじゃね?なんていう、うっすらとした違和感がありました。だいぶたってから具体的に聞いたのと懲戒権は上のほうの人の話だから、そのときは聞き流してたんすが。


で、問題が発生してなければたとえルール違反でもずるでも実質的被害がなければ問題はないではないか、っていうことをいわれると、たしかに問題はありません。ほんとルール違反があるだけ。ルール違反じゃなくても約束破りでもなんでもいいのですけど。よく遅刻の話をこのブログでなんどか書いてるのですが、時間を守らなくても事前に言ったりしてなんとかなればリカバリーは可能です。時間を守らないことは決して好ましいことではないのですけど。


ルールを破ることや遅刻にしても約束破りにしてもなんらかの事情があれば別なのですが、「好ましいことではないからそんなことしていいわけがない」という自制が利かないと・利かなくなると、どこかまずいんじゃないすかね。自制が利かないから、迷ったときに・どうすればいいかわからないとき「ルールを破ってもいいんじゃね?」「ずるしてもいいんじゃね?」っていう選択肢がでてきて「裏金を作る」とか「遅刻する」とか「約束を守らない」とか「ずるをする」ってことになるんじゃないっすかね。それが信用とか信頼につながってくるのではないか。遅刻も度重なれば信用できなくなりますしいうこともなんとなく信用できなくなる。
ずるをするほうが絶対楽で、ルールを守るってことは本来あたり前のことにもかかわらず地味に大変なことはあるのですが。


実は最近、あるルールをすっ飛ばされてしまったあとに事後にやってきて説明をうけたあと(害があるわけではないせいもあるんすけど)その人から「どこに問題が?」っていわれてちょっとカチン、と来たのですが、好ましいことではないことを平気でやっちまう相手を前に「なんで俺はこの人が信用できそうにないと思ってるのだろ」なんて内心考えながら、どこか底のほうで「どうして人はルールを守らないことがあるのか」ということについて、伏流水のように、何かがつながったのかなあ、って思ったのです。迷ったときにルールを破っちまう・ずるという選択肢の有無が浮上するかいなか、選択肢があがってもブレーキが利くか・利かないか、なんでしょうけど。巧く説明できてないかもですけど。
でもって、行動の選択肢として「ずるをする」っていうことがあたりまえのように候補に挙がりそうな人をみるとなんとなく警戒しちまうことがあるようです。ブレーキが利かない自転車のようなものに対する不安感というか、うっすら苦手なんすよね。