自分の言葉が他人に通じないのは文字どうり他人には通じない言葉をつかってるからで、ひとつはそこに到るまでの過程を省略しちまうからです。吾輩は猫であるではルールがあることを説明していかに人間たちがルールを守らないかを嘆いてるくだりがあるのですが(猫のルールを人間が守ることを前提にしてるところが面白い)、相手を自分とおんなじだと思えば思うほど説明を省くのかもしれません。猫を笑えないのです。自分に明らかなんだからたぶん他人にもわかるんじゃないか、という前提で思考してしまうことがありがちで、他分野の人と一緒に顔合わせて協議すると頭を抱えちまうことがあるのですけども。しゃべってるときならば相手の顔をみれば「ああわからないんだな」ってのがあるんすが、文章だとこちらの説明も相手の疑問も伝わりにくくて、難しいんすけど。
どこまで説明したらいいかわからずに手探りで粘り強く説明すると「あーそういうことか」ってなことがあるんすが、そこまで行く前の、話がなんとなく通じないとき、というのはなんとなくうちのめされちまいなんど体験しても慣れることなく徒労と孤独を感じるのですけど、ことばというのは(通じるものだという意識を持ってれば持ってるほど)厄介だな、と思います。