説明できないこと

今週のお題が「いまだから言えること」なんすが、「いまだから言えること」というのは「昔は言えなかった」という前提なのかもなんすけど、他人にうまく説明できそうなことでも「昔もいえないまま今も言えないこと」のほうが多く、いまだからいえることってのはほとんどありません。ってか、云えないと判断したらそれを守るのが信用だと思ってて墓場まで持ってかなくちゃなことがおおかったり。相変わらず秘密の多い人生を送っています。云えないのでこうして匿名で書いてるのですけどもって、そんなてめえの身の上のことはともかく。
言う、というのは難しくて、会話ってのは同じレベルでないと通じないことがあります。相手が理解できないようなことをいうと「なんだこいつは」的な反応が待ってますが、かとといって説明が長くなるとウザくとられます。さらにタイミングを間違えると間抜けなときもあります。でもって、そこらへんの兼ね合いが難しいので、説明したいこととかあっても四苦八苦することが多く、言葉というのは難しくて本質的に伝わらないものであるという(書いてしまえばなにあたりまえのこと言ってんだこいつは的な)ぷち絶望が日常生活ではけっこうあります。
身のまわりにうまく説明できそうなことだけならまだいいのですが、起きたことを口頭で説明できないこともあります。この前コンビニでまるごとバナナを買ったあとラブホでするべきことをしたあとに二分割して食べる段になったとき、フォークがついてないことに気がつきました。たまたま同行者がシャワーからでてきたのでその説明をしたら、ちょっと貸せといったあとにまるごとバナナを二つに割り、横に座って口開けてといわれたので素直に開けたら割れた片方を開けた口に押し込んできました。身体に触れてもいないのになぜかその一連の行為に身体の一部が反応し、それに同行者が気がつき
「なんでそうなるかな」
と苦笑いしてたのですが、そのときその説明ができませんでした。いまでも説明できません。
ひとの行動って、「いまだから言える」っていうように明確に説明できることばかりとは限らないのではないかって考えちまうんすけど、おれが特殊なだけでそんなことありませんかね。ないかもですが。
もうちょっと真面目なことを書くつもりだったのですが、話がずれちまったのでここらへんで。