厄介ごと

大学時代はほんとお金がなくてバイトもしてました。新聞社だったので新聞と経済誌は読み放題です。つか、ある程度世の中でなにが起きてるのか把握してないとシャレにならなかったので、必至に勉強しました。クビに直結しかねないことで、そういう意味で大学とはまた別に勉強させてもらってた気がします。ただし金のない会社で、ファクス用紙がなくなってデスクに云われて顔見知りの英字の部門の人にファクス用紙をねだりに行ったことがなんべんもあります(その逆もあった)。会社が苦しくてもバイト学生にはそこそこの給与は出してもらえてたのですが、給与以外に18からこっち「新聞を読む」という習慣づけがどれほど自分の財産になってるかわかりません。ただバイトと勉強ばかりだった学生時代はコンプレックスだったりします。留学経験もありませんし専門外は詳しくしりません。新聞は18からこっちほぼ毎日目を通してますが、読書経験のある程度は著者が自分のとった専門分野の本であったりします。そのせいか、知識が偏ってます。言葉や知識は読んだ本や体験したことに影響されるのですけど、たぶん難しい本を読んでる人はそこに書いてある言葉でかっこいいこと言うのですが、偏りのあるものの悲劇はあんまりかっこよく語ることができないのと、かっこいいこという人がなにをいってるのかてんでわかんないことがあるからです。およそそこでこちらのしらない知識を含めて述べてるのはその人にとって重要なことなんだろうけど、それがいまいちわなんなくてたまに全力でごつーんと壁にぶつかって、「あー俺のレベルを超えてる話をしてるのだな」と思って孤独感に苛まれるのですが、そこで巧い具合に質問できればいいのだけど、一歩間違えるとビー玉を箸でつかもうとして失敗するようにてんであらぬ方向へいっちまうのが難しかったり。
判らないことを正確に伝えるのも技術がいって、たまに言葉って厄介だな、とおもっちまうんすが。