前戯を大切にね!

根回しと言うか、前段階であらかじめやっておくべきこと、ってのがあります。東京電力の節電のCMで、「電気を大切にね!」ってのがあるのですが、それをもじって「前戯を大切にね!」ってたまに(ほんとに親しい後輩なんかには)言うのですが、何事も挿入の前の前戯みたいなものって大事だとおもうんすよ。
で、仕事を進めてく上でスムースに動かすためや紛争回避のために、あいまいな部分を排除してあらかじめトラブルのおきそうなことに関しては明確化したり確認しておくことをするときはします。つまるところ、その行為は挿入の前の前戯に相当するものであったりするのですが、それをなぜかしなかったりする人が居て、トラブルになりかけ、あわててトラブルシューティング的なものに狩り出されたあと、当事者になんでそれをしなかったのかを尋ねたら、そこまでする必要はないと思った、ってなことのようなのです。そう思うのは自由なのですが、なんで必要ないと思ったのか・あいまいなままで良いと思ったのかは、ついぞ判らず仕舞いでなんとなく呆然としちまったのですが。たぶん、「必要がない」という結論があった以上、理由ってのも必要なかったんだろな、と推測したのですが。


最近ぼんやり思ってるのは、最初に「自分がこれでいい思ってるんだからこれで良いじゃない」っていう結論というか断定があってそこまでゆく途中がないというか、他人との共同作業なのにもかかわらず他人が思考の中に居ないというかルールのようなものを他人と共有しながらコトを致すことをはなから考えないというか、いくらか複雑でなく自己完結的思考をする人が増えてきちまってるのかなーっていう疑念です。他人を意識しないので「前戯という根回しなんかなくてつっこみゃ良いじゃん」みたいになりつつあるというか。さらに「自分がこれでいい思ってるんだからこれで良いじゃない」と言う結論がある以上複雑に考えないというか。
それを一番感じるのは前にも書いたのですがたまに経験するんすけど、時間を守らない人のことで、たとえば約束の時間に間に合わないときは予め関係者に連絡するのがスジなのです。連絡受けたほうはリカバリーのための次善の策を練れるだけの余裕が出来るからです。でも、えてして不思議な思考をする人が居て、連絡は必要なく、当座間に合うように頑張るっていう思考をして結論を出しちまうのです。連絡という根回ししてくれればいいのに自己完結的にそれをやられると次善の策も練れないし、結果イタイ状況に陥り、そのあとなぜ連絡しないのかについてあとで指摘しても「私も頑張ったんですけど」と言われても困っちまうのです。それは心情的に考慮したくなるものの理由にならないんすよ。


慎重に扱うべきものである、もしくはこうして欲しいという根回しの必要性、前戯の必要性の説明を事前にしても「前戯」がなくて苦しんだ経験がなければ根回しのようなもののほんとの必要性なんか判らないわけで、どうしたもんなのかなー、なんて考えちまったのですが。