犬張子の謎(もしくは磯田道史『日本史の内幕』を読んで)

特に意識したわけでは無いものの結果として異性と結婚もせず、したがって子供がいるわけではありません。知り合いなどに子が産まれてそれを知らされると「お祝いを送らなくちゃ」と考えるものの役に立つものがわからず、最初は知識がないので一時期はタオルを贈っていました。名鉄などのベビー用品売り場には必ずあって、いくらあっても足らないことはないだろうという安易な発想です。送り返されたことはないのでたぶん使われたはず。

その後、犬の張り子の存在を彼氏から教えて貰っています。犬は比較的病気をせず丈夫に育つというのと、おそらく統計上の裏付けなどはないに等しいと思われるものの傍においておけば「子の代わりに災厄を引き受ける」といういわれがあるもので、実用的でない上に非科学的ではあるものの途中からそれに切り替えて、何度か浅草の新仲見世にある店で包んでもらって送っています。礼状とともに赤子のそばに置かれた写真を送付してもらったことはあってもこれも送り返されたことはありません。

話はいつものように横に素っ飛びます。

長いこと積読状態であった『日本史の内幕』(磯田道史中公新書・2017)という本を最近読んでいます。若干大風呂敷な感じがしないでもないタイトルでなおかつ新聞連載をまとめたものであるものの、しかし一次資料にあたって執筆されているので読み応えがけっこうありました。詳細は本書を買っていただくとして。

読んでいちばん衝撃をうけたのが「江戸期の婚礼マニュアル」(P143)という項目です。その項目の中で『婚礼罌粟袋』『婚礼図書』という図書を引用しつつ、(よいこのみんなはわかんなくてよい)床入りの記述を紹介しています。罌粟袋には介添え役が2人居てその2人は(いたしてるところの)「次の間で静かに臥すべし」とあり、遠回しに云えば監視役が居たことが紹介され、次いで図書では人間の監視役はいないものの(いたすことをしているところに)犬張子が置かれ、翌日に紙に紅などを紙につけて舅のところに送っていたことが紹介されていました。正直そんなところに犬張子が居たの?と驚愕しています。

本来は「昔はお嫁さんにほんとプライバシーが無かったのだな」という感想を抱くべきなのかもしれませんが、わたしは図書のほうの記述を読んで咄嗟に複数いる犬張子の送り先が「磯田先生のこの本を読んでなければ良いな…」とまず思っちまっています。次いで、犬張子が新婚さんの監視からどうして新生児の災厄の身代わりという大役を担うようになったのか、ということを考えちまったのですが、もちろん答えはわかりません。

磯田先生の本は読んだこちら側が見過ごしがちな歴史の細部に光をあてて無知を悟ることが多いものの、今回はさらに読んでいて謎が増えてしまっています。些細なことなのですが犬張子の変遷についてどこかで訊いてみたいと思いつつ、いや枝葉末節だしなあ、と揺れ動いています。もっともどこで訊けば良いのかもわからないのですが。

本を読んで疑問が浮かんでそれが解決してないだけの役に立たない記事になってしまったのでこのへんで。