同じ本を何度も読む行為

退勤時に眠りさえしなければ鞄に忍ばせていた本を地下鉄の中で読むくらいのことはしますが、本好きかといわれると量も質も稼げてませんから怪しいところがあって読書家は名乗れません。くわえて以前読んだ本であっても再度読みはじめることもあります。最初読んだときのひっかかりや感想と再度読んだときのひっかかりや感想が異なることもあります(たとえば誰もが知ってるものなら『坊ちゃん』『吾輩は猫である』など)。本がワインのように年月を経て熟成変化するわけではありえないので最初に読んだときにすべてをきちんと理解できてなかったか、もしくは、おのれが変化したかのどちらかです。私は頭が良くないので前者の可能性が高いのですが。

話はいつものように横に素っ飛びます。

13日付の毎日の夕刊にジブリ鈴木敏夫プロデューサーの読書に関するインタビュー記事が掲載されていました。吉川英治の『宮本武蔵』をなんべんも読んでいたそうで、「信ずるは己のみ」「我、事において後悔せず」「人間本来無一物」という作中の語句に引っかかり、「この三つをあわせるとなにをやっても良いことにな」る「本当にひどい考え方」で、しかしその世界観が高度経済成長を支えたのではないか?と気が付いたという趣旨の発言があって、そのようにとらえたことがなかったのでちょっと興味深かったです。

と同時に、(私は鈴木さんのようにフィクションを社会時評を踏まえた読み方こそしていないので同列に並べたらまずいものの)本をなんべんも読み返すのは他の人もやってるのだな、と妙に安心しています。ついでに書くと別の本で10回繰り返して読んで「厚い壁を越えた」と思える経験の告白もあって、本こそ違えどなんべんも同じ本を読むような経験をしてるので、一人じゃなかったことが知れてよかったな、と。

さて、ここで重大な告白を。記事は『君たちはどう生きるか』の映画に関連して行われて掲載されていました。三十年以上前の高校入学時に読んで提出する課題図書か夏休みの課題図書として読んでるはずで、しかし掲載されていたイラストを眺めてはみたものの、恥ずかしながらいまとなってはちっとも内容を思い出せません。いや、あの、読みたいと思って手にした本ではなかったから…という言い訳が咄嗟に浮かぶのですが、なんかこう、読んだ本や読書について書けば書くほどおのれの中身が空洞であることの証明になりそうなので、このへんで。