「ついスマホに頼ってしまう人のための日本語入門」を読んで(もしくは辞書のこと)

「ついスマホに頼ってしまう人のための日本語入門」(堀田あけみ・村井宏栄・ナカニシヤ出版・2021)という本を最近買いました。念のため書いておくとスマホは持っていますがメール機能と通話とLINEと運行情報以外はあまり使いこなせてませんから、おそらく題名が想定する層ではありません。だのになぜ手に取ったかといえば大学の先生でもある著者の著作を以前読んでいたからです…ってそんなことはどうでもよくて。本書は文章を書いたり創作の授業も担当してる小説を書く心理学者が書いたもので、書かれてる内容は大まかに分けて「辞書を引く」「語彙を増やす」「敬語に強くなる」で、「正しく伝える」「豊かに語る」ことの一助になれば、という点から書かれています。

「辞書を引く」というところでは少しショッキングな記述があります。「延々と」を「永遠と」と書く大学生が増え、指摘すると普通に生きていたら「延々と」なんてつかわないと学生はなかなか納得せず、百歩譲って辞書を引けと指摘すると教え子が

「引きようがありません、先生。間違ってる可能性を微塵も疑っていませんから」

と述べた体験(を基にしたフィクション)が描かれています(P8)。ことばに対して興味がなく、さらに自分の正しさを疑わないゆえに辞書を引かないので「面倒がらずに辞書を引け」という言葉はちっとも届かず、辞書を「わからない言葉を知るため」ではなく「日常的でないことの確認のため」にしなさいというべきだったのか、と自省されてるのですが、続けて「わからないことは質問して解決して」と問うても単位を落とす学生が居てその学生が云う「わかっているつもりだった」「どこがわからないかわからなかった」という返答から何がわからないかを気付くにもセンスが必要であって自分の知識は完全ではないという前提を崩したところで「わからない」がわからないことに変わりがないので積極的に辞書に向かうことにはならないのではないか、とも述べています(P10)。加えて発達学習心理学専攻で著者の以前の研究で文章を産出する際に「何を書くか」と「どう書くか」のどちらが意識されてるかという研究では「何を書くか」が優位で(P11)あったことも紹介しつつ、「どう書くか」に興味が無いと、産出する文章に限界が出てくることも指摘しています。

冒頭から25ページあたりまで読むと本を書いた目的や動機が濃厚に理解できてきます。詳細はお読みいただくとして、題名にあるような「ついスマホに頼ってしまう人」ではなくても、現在の書きことば・話しことばの状況の一例を知るうえで興味深い本ではあります。そして単純に「今どきの学生は…」とくくれない書き方にもなっています。たとえば「ややこしい」や「どうでもいい」の対義語は?という酸いも甘いも噛分けた大人でも即答できなさそうな問いかけもあったりします。詳細はやはり本書をお読みいただくとして、国語の微妙な複雑さと興味深さもあわせて知ることが出来ます。

「辞書を引く」に話を戻すとと辞書そのものについても経験を踏まえて書かれてます。電子辞書について複数の辞典が入っているので同じ言葉の引き比べができることをメリットとして挙げていました。同じ言葉の引き比べをしたことがなかったので目からウロコで(たとえば英和はジーニアス漢和は三省堂の1冊しか持っていない)、いままで紙の辞書一択だったのでちょっと心が揺らいでいます。もっとも紙の辞書についても、線が引けるなど(私はメモを挟むことがある)などの利点を挙げています。些細なことなのですが紙の辞書は目的の言葉にたどり着くまでに別の単語を目にせざるを得ません。そのことによって「見たことのある単語」が増えているのですが、本書にはそれについてもちらっと触れられています。私は読書を自称できるほどしていませんがこの「見たことのある単語」が本を読むうえで血肉になってる意識があります。なので揺らぎつつも紙の辞書を引くことは止めそうにないのですが、っておのれのことはどうでもよくて。

さて、読み終えたいま本からはしおりがわりのレシートが「辞書を引く」以外の部分も含め何枚も挟んであって語りたいところがいくつもあるのですがそれは止めておくとして

出版のご提案を頂いた直後、新型コロナウイルスの影響が強く世界を覆いました。直接会えない、面と向かって話せない代わりに、メールやそれに添付するワードファイルのやりとりは格段に増えたように感じています。コミュニケーションにおいて、表情・身ぶり・手ぶりという要素が捨象され、伝達された言葉そのものに、より神経を注がなければならない状況です。文章に求められる役割は、どうやらますます大きくなっていきそうです。(P150)

というあとがきに、一番はっとさせられています。学生ではありませんし、創作こそしませんが・文章で喰おうなどとはちっとも考えてないのですが、いままでと異なる状況がしばらく続く上で齟齬をきたすことのないよう文章を書くことについて神経を注がなければならぬと改めて気がつけただけ、ラッキーだったのかもしれなかったり。