これを書いてるのはいまはくたびれたおっさんですが学生だった時期があります。遊びあるいてたとカッコつけたいところですが実家は裕福ではなくあまり頭が良いほうではなかったので、残念ながら(…残念ながら?)働きつつ机に本を広げて勉強をしていました。複数の本を広げてるとき、ある本の必要と思える箇所を眺めて書き写して再度見るかもしれないと考えて眺めたページを下にしてひっくり返しておき、さらに別の本を広げて眺めて書き写しこれも再度見るかもと考えて眺めたページを下にしてひっくり返し、なんてことをしていました。ひっくり返さずに広げたまんまでなんとかなる場合もありますが、参照したい本はハードカバーの本とは限らないです。たとえば有斐閣新書は安かったけど新書ですから開きっぱなしにしにくく、やろうと思えばできますがブチッっという音とともに縫い合わせの部分(といえばいいのかともかく本が本として崩壊しないで原型をとどめるために必要とされる部分)が割れてしまい、それ繰り返すと本が崩壊してしまいます(断言したのは有斐閣新書を一冊崩壊させたことがあるからです)。はてなの今週のお題が「デスクまわり」なのですが、当時、あったらいいなと思っていたのが本を開いたままにしてなおかつ本を崩壊させずに固定する譜面台みたいなもので、もちろん机のそばに置いて、本を広げたまま必要な時に参照するためです。もちろん貧乏学生だったのでそんなものは持っていませんでしたし、自作するだけの時間的余裕もありませんでした。
紅顔の美青年が…じゃねえ、くたびれた勤労青年が、くたびれたおっさんになり果てた数年前、百円均一の店で百円じゃなかったものの、本を広げたままにして固定しておける譜面台のような読書台というものを売っていました。そのときに「こういうの学生時代に欲しかったな」と思ってたので迷ったのですが、再度学生になる予定もないので購入は見送ってます。あったら本を読みながらごはん食べれるな、それ、とも云われたのですが、本だけでご飯を何杯もというシーンがおのれの人生にいつ来るかわからないので、再びどこかで見つけても買わないと思います。たぶん。
以下、くだらないことを。
茅ヶ崎に開高健記念館というのがあり、開高健さんが生前住んでいた家をそのまま保存しています。2年くらい前には言海というぼろぼろになった辞書と作品を書くにあたってのメモが展示されていて、それを見て、(作家になろうなどとは思っていませんが)なにか書くにあたって辞書とメモはそばに置いて置いた方が良いのかな、とは考えてパソコンの近くに辞書となにか書き留めることができるようにメモを置くようになりました。ここに書いてる文章がそれらで飛躍的に何かしら進歩してればよいのですがそれは自覚できません。辞書はともかくとして、メモをしつつも、あとで読み返しても「なんだっけ、これ」ということがたまにあったり。やっぱそれじゃダメじゃん。