歴史は韻を踏む

今月に入ってから『時刻表昭和史』(宮脇俊三・角川文庫・1997)という本を読んでいます。著者の自己形成の過程を戦前戦後の時刻表を軸に記述した私小説っぽい本で詳細は本書を読んでいただくとして、時刻表が軸になっているのは著者が無類の鉄道好きでそれらがいくらか肩の力を抜きながら読める効果を担ってるものの章を重ねるごとに戦時色および敗戦色が強くなってゆきます。脇道にそれて恐縮なのですが、著者の父上が元軍人でありながらも軍が政治にかかわることに批判的で、いわゆる「翼賛選挙」で非推薦となり落選する過程も数行ではあるものの触れられています(第8章)。恥ずかしながらこの本を読んで非推薦となった候補が「ポスターは破られ、演説会は妨害され」(P140)ていたことをはじめて知りました。

話はいつものように横に素っ飛びます。

この文章を書いてるヤツは品が無いうえに知性のかけらもありませんがいちおう大学は法学部(自称あほうがく部)卒です。法学部は憲法を学ぶことになるのですが、言論の自由表現の自由に付随する説明で「各種の情報や表現を制約なく受け取り・知ることにより人格形成に資する」という趣旨の一文に接してます。つまるところあらゆる情報にアクセスすることができる状態こそが憲法の予定するところであったりします。先日の東京の補選である陣営が選挙期間中に他陣営の演説中に大声をあげて妨害をしていた、もしくは演説会場を事前に告知するとそこで当該陣営がやってきて大声があがるゆえに事前に演説会場を告知できなかった、という報道がありました。それらは選挙民が演説を聞く機会を失うわけで(≒各種の情報や表現を制約なく受け取ることができないわけで)けっこう危機的な状態です。選挙の自由の妨害にあたり結果としては警察が動いたのですが、上記の本を読んだばかりなので妙な既視感がありました。もちろん戦前の翼賛政治体制協議会は半官半民で、今回は半官半民ではない泡沫政党による妨害行為ではあるのですが。

さらに話は横に素っ飛びます。

朝めしを作りながらであったので番組名は覚えていないものの連休中に歴史家の磯田道史さんがNHKの番組でインタビューを受けていたのを耳で聴いていて、歴史をひもとくと全く同じものが繰り返されているわけではなく、らせん状に戻りつつ少し位相を変える、歴史は韻を踏む、という趣旨のことを述べていて妙に印象に残りました。考えすぎかもしれぬものの、東京の補選の事件の報道を知り改めて振り返ると、磯田説の補強というか翼賛選挙が韻を踏んで再登場し、歴史が韻を踏んでいる現象を目撃してしまったのかな感があったり。

さて、くだらないことを。

上記の本は食べ物に関する描写も多いです。第8章では石英の鉱山へ行く著者の父上が札幌へ向かう列車の中で将校と怒鳴り合う事態になり車内がとげとげしくなる描写があるのですが、鮭フライのある食堂車で食事をしたあとにはお互いそれがいくらかおさまった旨の描写もありました。人はひもじくなると余裕がなくなるのかもしれないのですが、かりに磯田説のように歴史が韻を踏むとして、願わくば食糧難だけは韻を踏んでほしくないかな感があったり。

歴史や政治の話は詳しくないのでこのへんで。