紙喰い虫開高健展

茅ヶ崎開高健記念館で開高さんの読書遍歴をたどる「紙喰い虫・開高健」展というのをやっていていくらか気になってて、見学しておこうと思って昨日墓参の帰途に寄りました(両親は神奈川県に眠ってます)。
てめえのことを書いてもつまらないとは思うものの、私は「玉、砕ける」を筆頭に開高健さんの小説を高校時代から読んでいて、開高さんの独特の、描写したいものを言葉を変えつつ列挙してしつこく描写するところもあるのだけど、話してるようなというかリズムがある文体のおかげでさして文学の素養がなくても・膨大な語彙を駆使しながら書かれた記述は句読点はあっても1頁改行なくても、苦も無く読めてました。で、「開高さんはどうしてあの文体になったのだろう」という素朴な疑問がずっとあって、もしかして読んでいたものにヒントがあるのでは、なんて考えていました(漢詩とかの素養があるのかなと勝手に想像していたのでそこらへんも期待していた)。
もっとも見学するとその期待は見事に外れました。
展示物の中に井伏鱒二からの釣りにまつわる手紙などもなぜか展示されていてつい興味深くて読み込んでしまったのですけど、それ以外はサルトルの嘔吐やウォルトンの釣魚大全、聖書などの一部の蔵書が生前書かれた記述とともに紹介されてはいるものの、それだけであって、おそらく文体に参考にしたものがあるわけではなく独特のあの文体は経験や身体の中から出てきたものであるのだろうという、文字にしてみればあたりまえの推測の答えしか持ちえませんでした。

見学して意味があったの?というと答えはありません。作家になるつもりもなければ文学部でもないけど、度数の高い酒をあおったあとのようなひりひりとした感覚を持ちながら・「言葉が美しくそして強いのは言葉の背後にあるものの構築が緊密な迫力を持ってるときであって決して言葉そのものではない」という語句を思い出してうちのめされたような感覚を持ちながら、茅ヶ崎駅へ戻りました