棒の話(もしくは2022年を振り返って)

「去年今年貫く棒の如きもの」ってのが虚子の俳句にあります。棒というのはたいてい右も左も同じ材質でできているはずです。なので同一で変わらない、という解釈をしています。でもほんとに今年と去年は棒のようなものなのか、誰かが証明したわけでもないはずで、私も確認したわけではないのでほんとのところはわかりません。個人的実感としては振り返ると去年と今年を比較すれば違いがけっこうありました。棒は違うんじゃないの?感があります。

今年の1月の第六波のあたりから(第七波のときもそうでしたし実はいまもそうなんすけど)、たとえば抱えてる仕事の関係で他社の人とアポイントをとってもその人が「濃厚接触者になった」とか「感染した」のでキャンセルとか、「それまで当たり前にできていたことが当たり前じゃなくなった」感が強くなりました。嘆いたところでなんの解決にもならないのでその場その場で臨機応変に対応してやり過ごすものの、「この状況がいつまで続くんだろう」と「なんとかならんのか」といううんざりした気持ちは去年と比べて濃くなっています。もちろんこんな話あちこちに転がってるかもしれませんし、ここで書いたところでなんの解決にもなりません。が、私はそれらを無かったことにもできないくらいに決して強くない凡人で前向きなことばかり考えているわけではなく、匿名を奇貨として記録しています。

また40代でもなる人はなるし時間がとれるなら今年中にどうですか…とドクタから忠告され、秋に白内障の日帰りの手術を受けました。新たにレンズを眼球内に挿入したことで0.1もなかった右目の視力がある程度回復しています。ただ術後がなかなか安定しなかったりと一筋縄ではいかなかったのですが、去年より今年が良くなったほうの違いのひとつです。

これから書かなくてもいいことを書きます。

「当たり前にできていたことが当たり前じゃなくなった」感が強くなったとか眼科の手術後一筋縄でいかなかったりとか今年はマイナスの面があったのですが、比例してフィクションの海にかなり溺れるようにもなっています。

バカにされそうですがあえて書くと、第六波の頃のコスプレが題材の『その着せ替え人形は恋をする』というアニメを毎週欠かさずに視聴していました。ヒロインである喜多川さんはコスプレが「愛情表現で好きという意思表示」であるのに対し喜多川さんが憧れるジュジュ様は「なりたかったものになる自己実現」であることを明確にし、着るという行為について改めて考えさせられています。原作は所作がなければ異性にしか見えない異性装も出てくるので地続きで「男を男と認識するのはなにか」「女を女と認識するのはなにか」ということも気になってしまい

gustav5.hatenablog.com

ほとんど興味が無かった服飾についての美術展も見学するようになってしまっています(…しまっています?)。

gustav5.hatenablog.com

知ってる歌舞伎役者が出ていたというのもありますが

gustav5.hatenablog.com

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』もほぼ毎週視聴していました。

また術後に長時間本が読めないにもかかわらずずっと追ってる青ブタの新刊が出たのでバカなことをしてるなという自覚はありつつもガマンしきれずに寝る前に毎日1章だけにして読んでいました。

フィクションなんてなくてもなんとかやってけそうなのですが、よくできたフィクションはそのとき現実をどこかへ追いやる機能があるはずで、その機能を求めてわざと溺れていた部分は否定できません。

「去年今年貫く棒の如きもの」というのをどう解釈するかですが、今年と来年が同じようなものであればまたフィクションに溺れてしまいそうな気がします。もっとも「棒の如きもの」なので棒とは虚子は言い切っていません。良い方向へ変質して欲しいと思うものの、バールのようなものになってるかもしれないわけで…ってくだらない話はさておき。くたばるまではぎりぎりまで続けるつもりでおります。どれほどの人が読んでいるのか確認もしなくなりつつあるのですけど、いましばらくお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。

末尾になりましたが、良いお年を。