「その着せ替え人形は恋をする」5話を視聴して(もしくは自分を消す作用のこと)

ファッションは着ている人を消すことができます。モデルの顔を覚えてなくてもモデルの着ている服が売れるのはそのためです。以前性的マイノリティの人はおしゃれという趣旨の投稿をはてなハイクで読んだことがあるのですが、外側に対しておのれの素を出したらいいことはない・むしろえらいことになる、って皮膚で判っちまってる人間は自分をどこか消すのが巧いです。人がファッションに気をとられてる間は、その人には焦点がむいてないから内面がばれる危険性が低いからです。ある属性を名指ししておしゃれというのは自由なのですが、その裏にあるものはあまり考慮されないものなのだな、と思ったのですが…って話がズレた。そもそもそんな話をしたいわけではなくて。

なにも毎週視聴したことをここで報告していちいち感想を書く必要はないのではないかな?と思いつつ、「その着せ替え人形は恋をする」の第5話を視聴してコスプレに挑戦した喜多川さんと衣装を作った五条くんを眺めてて、そのまま何も書かずにいるのが惜しいので、書きます。

いくばくかの不粋なネタバレをお許し願いたいのですが、第5話は、出来たばかりのコスプレ衣装を着てメイクをし、画像をSNSに上げます。五条くんの作った衣装を着た結果・五条くんのメイクの結果、最初はそんなことなかったのですが喜多川さんは自分を消してどんどん推し(=聖♡ぬるぬる女学園お嬢様は恥辱クラブハレンチミラクルライフ2の黒江雫ことしずくたん)に表情や仕草を含めて近づけてゆきます。勢いでコスプレイベントにも参加し、喜多川さんは自らを消してしずくたんに近づけるために衣装の下にヌーブラを2枚重ねてしまいます(それがどういう事態になるのかは是非アニメか原作を視聴していただきたいのですが)。そして、風に吹かれてスカートがまくれ上がったことよりも喜多川さんはしずくたんの表情が出来なかったことのほうが気になって写真のリテイクを要求するまでになります。(喜多川さんはマイノリティではありませんが)しずくたん姿の喜多川さんを眺めててフィクションとはいえ化粧やファッションというのは自分を消すのだなというのを再認識したと同時に、フィクションとはいえ誰かになりたいという欲求も自分を消すのだな、と興味深かったです。推しキャラにのめり込む喜多川さんと喜多川さん以外の温度差が傍から見るとコメディなのかもしれませんが、私は喜多川さんをなぜか笑えませんでした。これを書いてるのはおっさんでコスプレなどしたことないのですが、いままで意識してなかったもののどこか変身する人々を羨ましいと思うところがあるのかもしれなかったり…っておっさんの話は横に置いて置くとして。

第5話は中間決算的な作りになっていて、それまでの回の伏線のいくつかを回収しています。さらにもういくばくかの不粋なネタバレをお許しください。第3話で喜多川さんが「きれい」を連発というより濫発して五条くんに同意を求めつつも五条くんは容易に同意せず、自らの経験から「きれい」について心から思った時にしか発しない「特別なものに対する言葉」としてることを拙いながらも説明します。喜多川さんと五条くんとでは意味や重みが違うことを相互に理解したうえで第5話では五条くんは埼玉に戻る電車内で(しずくたん姿の)喜多川さんが「きれい」であったことをまどろみつつ口にしてしまいます。誰もが口にしかねない三文字でこれほどまでに効果的な一撃をくらわせた作品は記憶にないので、ちょっと唸ってしまっています。あ?どうするの喜多川さん、とつぶやいてしまいそうになったそこで5話は終わってて、一撃を喰らった喜多川さんがどうするかは次回への持ち越しなのですが、そこらへんも含めほんと物語の進め方が巧いと思いました。

(詳細は原作かアニメをご覧いただきたいのですが)相変わらず視聴していることを口外しにくい「けしからん」タグがつきそうなシーンやセリフがないわけではなく万人受けするとは思えぬ作品ですが、第5話では五条くんがものづくりの楽しさに前向きに目覚めたような描写もあって人って可塑性があると思ってる方からすると微笑ましいので、飽きずに視聴してしまいました。たぶん6話も視聴するつもりです。