ダジャレが言える空間

ここを覗いているのははてな以外からもあるよう(なの)で、はてなユーザー以外の人は「なんのこっちゃ?」になりかねないのでちゃんと書いておくと、以前はてなにははてなハイクというSNS(のような)サービスが2019年までありました。どれほどのユーザーが居たのかの詳細は知りませんしそもそも最初から居たわけでもありません。そういう空気が苦手だった人ももちろんいますが「カツオ風味のhonda fit」とか「ゆく河馬の流れは絶えずして、鹿も元の水にあらず。淀みに浮かぶ歌う河馬はかつ消えかつ結びて久しくトドになるためしなし」などと即興で意味不明なダジャレを云っても許される空気があり・うまいこといえばはてなスターがもらえ、とてもありがたい空間でした。勤務先ではそういうキャラではないのではてなハイク亡きあとふと浮かぶダジャレを必死にこらえたことがあって、こらえつつも「ああ私は誰かを笑わしたい気質の人間だったのだな」と自覚しています。見知らぬおのれを再発見したのははてなハイクです。

もちろん良いことばかりあったわけではありません。ここらへん、なんべんも書いているのですが「日本語で書かれてるにもかかわらずなにをいってるのかちっともわからない文章」というのになんども出くわしています。「発話者が読む方を同類と考えて説明を省略することでわけわかめになる場合」とか「最初に断定があって結論があり、断定ゆえに説明がほぼなく、なのでなんでそうなるのかがよくわからないまま書かれた場合」とか、文章による意思疎通の難しさというのを思い知らされました。以降「他人がムリなく理解できる文章に必要なものってなんなのだろう」というのをずっと拙い頭で考えているのですが拙い頭ゆえか、正解はわかりません。

ただ仮にはてなハイクを含むSNSは同質性のある人同士をくっつけるのには最適なのだとすると、それらの文章を理解するだけの同質性が私になかったということになるわけですが…って、それって簡潔にいえばわりと「ぼっち」だったのかも。しかしそれでも(つまり同質性が無くても)ダジャレを云えて(おそらく含意を理解してもらって)はてなスターを貰ったり、ボケてレスを貰ったりできたわけで、ダジャレや笑いのちからというのは偉大だなあ、と(異論は認める)。

さて、はてな今週のお題が「復活してほしいもの」なのですが、やはりダジャレや大喜利的なものを許容していたはてなハイクです。ギスギスしやすい世の中でそういうゆるゆるの空間がひとつくらいあっても、よくないっすかね。仮に復活しても以前ほど書き込めるような状態にないので大きな声では云えないのですが、有料プランとかで復活がありえるならちょっと考えたいです。