古本屋で偶然見つけた本

くだらないことを書きます。

裏の畑でポチが鳴く

正直爺さん掘ったれば

大判小判がざーくざーくざっくざく

という童謡を題名は知らぬものの子供の頃に聞いたことがあります。多摩では上記のような歌詞なのですが、もしかしたら地域によって歌詞は違うかもしれません。この曲が不思議なのはなぜ裏の畑に大判小判が埋まってるのか?という点です。正直爺さんが埋めたなら歌にならないでしょうし、そのあとに出てくる意地悪爺さんが埋めたとも考えにくいのです。第三者が埋め→それを正直爺さんが発見した、という理解が適当ですが、しかし「なんでそんなもの埋めたの?」という謎が無いわけではありません。

くだらないな…と思いつつも続けます。

以前伊賀上野城と城内の忍者屋敷を見学したことがあります。城内に忍者屋敷がある時点で正直「は?」なのですが(ほんとは横に置いてはいけないのかもしれないものの)それは横に置いておくとして。その伊賀上野城の忍者屋敷で興味深かったのは江戸期に伊賀では火事などのいざというときに重要な書物を壺や釜に入れてさらにその上から砂をかけて焼けるのを防いでいた、という工夫です。上記の童謡の謎を解く仮説その1として、火事のようないざというときのために大事なものである大判小判を誰かが土の中に埋め→埋めた人物が死亡して時間が経過しに正直爺さんがそれを発見した、のかなあ、と。

ほんと、くだらないな…と思いつつさらに続けます。

今年に入って読んだ『沈黙の中世』(網野善彦石井進・福田豊彦・平凡社・1990)では中世の若狭の国の事例として東寺の荘園で掘り出された銭についての扱いについて触れていて(P32)、東寺へ持ってゆき神物仏物としてあつかっていることなどから、銭等貨幣を埋めることは無主物扱い≒所有権放棄つまり自分のものではなくしてしまうという意味合いがあったのではないか?という論が提示されています。上記の童謡の謎を解く仮説その2としては神仏に捧げる意味合いで盗賊など誰かが大判小判を埋め→正直爺さんがそれを発見した、のかなあ、と。

もちろん正解はわかりません。そもそもポチはpetitから来たとする説があり仏語が日本に入ってきた明治以降に作られたフィクションの可能性が高く、ゆえに正解を求めるのは意味がないかもしれません。(ほんとはくだらなくないかもしれないけど)くだらない話はこれくらいにして。

上記で触れた『沈黙の中世』という本は2021年の平凡社ライブラリーのラインナップにはあるのですがどこの本屋へ行っても見つけることが出来ずにいて、しかしJRが運転見合わせになったときに降りた途中駅の駅前の古本屋で偶然見つけました。刀を所持している関係で以前より鉄に興味を持っていて、本書は貨幣のほかに鉄などにも触れられていて興味深く読みすすめています。ここではてな今週のお題「大発見」を引っ張ると、手に入らないと諦めかけていた本が偶然手に入ると「大発見」感がありませんかね。もっとも大発見感ってなんだよ?と云われるとキついので、このへんで。