たぶん前にも書いたかもしれないのですが、死んだ両親は素麺を苦手としていて食料を保存してるところにはよく三輪素麺が置いてありました。貰ったはいいけど苦手なのでまず食卓に上がることはないので持て余してかびてしまい、最後には捨ててます。なので素麺をどう料理すればいいのか、CMで流れてる茹でてめんつゆで喰う以外、大人になるまで知らずに育っています。
そんなのが大人になって、素麺を貰ったものの茹でてめんつゆで喰うことに飽きてしまうようになると残りをどうすればいいか頭を抱えてしまう事態に陥ります。持ってきた彼氏の手前捨てることもできないので、以降、毎夏に素麺に真摯に向き合うようになり、はてなユーザの方から教えて貰ったりしたほか、どこかへ出かけると他所では素麺に限らず麺類をどうやって食べてるのかが気になるようになっています。生きてるとほんとなにが起きるかわかりません。
秩父には味噌とゴマをすりばちで合わせて冷水でのばした上でミョウガやキュウリを入れたものをつけ汁にしてうどんを食べる「冷や汁うどん」というのがあります。それを秩父市内で知って、現地ではうどんでしたが素麺でもイケるのでは?と考えて素麺のときのレパートリーに加えています。めんつゆと異なり不思議と飽きないのが謎であるものの、猛暑の夏には出会えたことが有難かったり。
今年に入ってから伊賀上野に行ってるのですが不思議なことに伊賀にも(うどんが入らないものの)冷や汁があります。秩父も伊賀も盆地です。今週のお題「冷やし◯◯」に乗じて人力詮索を繰り広げると盆地特有の暑さをやり過ごすために他の盆地にも味噌系の冷やした汁のようなものが存在するのでは?と睨んでいます。睨んでるだけで積極的に調べたいわけではないのですが。
以下、くだらないことを。
『剣客商売』(池波正太郎・新潮文庫)に小兵衛という人物が出てきます。その小兵衛さんの夏の好物が冷や汁です。茄子の香の物に溶き芥子を添えたもの、きざみネギの入った炒り卵のほかに、具のない冷や汁を冷めためしにかけたものを三杯食べた描写があります(「決闘・高田馬場」)。私が食べてる秩父式とは違いますが、夏にごはんにかけて三杯というのはなんとなく理解できるところがあります…って、私の感想はどうでもよくて。
作中の冷や汁はたんねんに出汁をとった味噌汁を冷やしたものなのですが冷やし方がちょっと不思議で、鍋ごと笊に入れて石井戸の中に吊るす、という描写です。鍋の底も笊も平たくて鍋にはおそらくフタをしてあったとしても、井戸の中を上げ下げしてるときに中身が「ばしゃあ」となったりしなかったのだろうか?という一抹の不安をどうしても拭えません。どのように冷や汁をこぼさずに上げ下げしていたのか、ちょっと想像がつかない謎なのです。
食べだしたのはここ数年のことなのですが、ご飯も素麺もうどんも包容してしまう点でも奥が深い上に、不思議と食べれてしまう点も含めて謎もあって、冷や汁はちょっとミステリアスな食べ物だよなあ、と(異論は認める)。