節分の豆の謎(もしくは「中世の飛礫について」を読んで)

この時期になると節分関連の豆をヨーカドーなどでみかけるようになりますが「なんで豆で鬼が逃げるのか」という趣旨のことを数年前に問われたことがあります。別に正解を云えと問われてたわけではないものの、たしかに不思議な話です。数秒考えて、鬼は歯が弱くてかたい豆が苦手だったからとか?と咄嗟に答えたもののそれでは鬼が逃げる理由にはなっていません。この問題、どこかで訊いてみたいと思いつつもなんの学問になるのかがわからないので、わからないままにしていました。

話はいつものように横に素っ飛びます。

ここ数年、網野善彦というかなり前に亡くなった甲州出身の歴史学者の著作を追っています。去年読んだ『異形の王権』(平凡社ライブラリー・1993)の中には「中世の飛礫について」という日本史の中の石の投擲に関する歴史の章があり、近代まで甲州で5月の節供に行われた石を投げ合う石合戦が中世においては5月に限らず御霊会や賀茂祭、そして追儺の際にもあったことが記されていました(P168およびP169)。追儺というのは旧暦の大晦日に行う疫鬼や疫神を追い払う儀式ですが、つまるところいまの節分につながるものです。積年の疑問の若干のヒントになりそうで、ここから先は人力詮索ですが昔は石を投げていたもののそれがいつのまにか豆に代わってしまった、と想像します。もちろんなぜ豆かはわかりません。強いていえば石は河原でないと比較的見つけることが困難ですが豆は荒れ地でも植えれば育つからかなあ、と。

もう少しの脱線をお許しください。それ以外にも「中世の飛礫について」を読んでいくつか興味深かった点があるのですが、そのうちのひとつを強いてあげるとすれば石合戦のように飛礫が飛び交う場合に地域によってはその飛礫にあたりけがをすることが縁起が良いということもあったそうで(P159)。いまでも地域によっては年齢より一つ多く豆を食べると無病息災になると云われていますが、投げるものは変わっても投げたものを縁起物として扱うのがなんだか不思議だなあ、と。

話を元に戻すと、もちろんほんとのところはわかりません。相変わらず謎のままです。

最後にくだらないことを。

以前塩ラーメンごま問題というのを書いたことがあります。「塩ラーメンになぜごまがついているのか」という素朴な疑問が私にはあります。その塩ラーメンになぜごまがついてるかってことを疑問を持ってるときに「塩ラーメンにはごまが入ってるのが当たり前なんですよですからそんなこと気にするほうがおかしくない?」というように、その疑問を持つほうがおかしい、っていう方向に話が行くことがあります。塩ラーメンにすら謎があるくらいで世の中には不思議が詰まってるのにそれを不思議に思わないなんてつまんない大人だなーとかつぶやいてみるものの、その言葉はこちらの幼児性の証明でブーメランのように戻ってきちまうのが痛いところなのです。「なんで鬼は豆から逃げるのか」も塩ラーメンごま問題に限りなく近い気がします。はてな今週のお題「マメ」なのでそれを奇貨として私見を書いてみたものの、些細なところにこだわる幼児性の証明になってしまいそうなのでこのへんで。