投げる行為について(もしくは武田軍の石投げ隊の存在を知って)

特段野球が好きというわけではないものの、以前たしか神戸の空港のテレビで野球中継を流してて、あと一球で空振り三振に仕留めることができる場面で投手側に感情移入しつつ(投げるという行為をしているときはその行為以外を考えてない稀有な体験でああこの人も同じなのだろうかとか考えて)、つい見入っちまったことがあります。野球部にいたわけでもないしせいぜい学生時代に遊びでやった程度なのですが、私は投げるという行為にどこか引っかかりがあるようで。

ここ数年、網野善彦という二十年近く前に亡くなった甲州出身の歴史学者の著作を読んでいます。去年読んだ『異形の王権』(平凡社ライブラリー・1993)の中には「中世の飛礫について」という日本史の中の石の投擲に関する歴史の章があり、その中には武田信玄が「水股の者」と称された石投げ隊を組織していたことに触れられていて、三方ヶ原の戦いに際しては「300人ばかりを真っ先に立て、彼らにはつぶてを打たせて」(P167)いたことを信長公記の記述として紹介していました。つぶては石で、信玄公は石投げ部隊を先頭に立たせて三河勢を攻撃していたことになり・どこにでもあるものを使ってどってことない戦術で攻撃していたことになります。いつものように話は横に素っ飛んで恐縮なのですが上記の記述を読んで、武田軍が無心にいっせいに全力で石を投げてるその様子を想像すると・三河勢がなすすべもなく退却する姿を想像すると、正直その場に居合わせたいと思えるようになっています。『どうする家康』は三方ヶ原の戦いをどう描写したのか未視聴なので知らないのですが、もし詳細な描写があって既に放送済みであったとしたら、いくらか払ってでも見たいです。

ここではてな今週のお題「投げたいもの・打ちたいもの」を引っ張ります。

読んだ本の影響で石を投げてみたいというのは正直あるものの人にあたったら傷害になっちまうので、現実的に無理です。加えて、ダイジェストとはいえWBCを眺めてて投げてみたい欲がでてきたのですが草野球のチームに属してるわけでもないのでそれも無理です。ただ浅草寺のそばのバッティングセンターにボールを投げて1から9まで書かれたパネルを投げて落すストラックアウトというのがあって単純な投げる欲はそれで解消可能なので、そのうち行くつもりなのですが。

読んだ本や見た映像に影響されてしまうというのはラブホで流れる映像にムラムラしてしまうのと同じで流されやすさの証明かもしれなくて、なんだか余計なことを書いてる気がするのでこのへんで。