術中の妄想

商学部などを出ていればそんなことないのかもしれませんが私はあほうがく部卒で途中から数字を扱うところに異動していて、悪いくせなのですが数字の桁を打ち損ねることがありました。読みにくいので桁を打てと複数回指導されています。いまでも作成したもので桁を打ち損ねているのを自ら見つけた場合、事前に防げたのですから無問題ではあるのですが、背中に冷や汗がうっすらと流れる感覚があったりします。その指導をしてくれた先輩は既に退社して居ないので怒られることはないものの、そのときどこかで想像して指導されることを意識しているわけで。そういう経験をしてしまうと、人は経験から想像し予測して、起きていないことに対して反応することがあるのではないかな、という気がしないでもないです。

匿名を奇貨として続けます。

以前、彼氏の持っていた装着式の大人のおもちゃをつけたことがあります。いくらか自業自得なのですがスイッチを自らMAXにして悶えたことがありました。以降、そういうおもちゃにはいくらか消極的になっています。根っこにあるのはいくばくかの恐怖で、恐怖の本質は、経験から予測して目の前にないことをあれこれ考えてしまうことなのではないかな、と。

さて、去秋眼科の手術を受けています。事前の説明では術中にクシャミが出そうなら申告してください、とのことで、説明を聞きながら花粉症の季節ではないので「そんなことにはなんねーだろー」などとタカをくくっていました。ところが当日、手術着の下はパンツ一枚、対して執刀医のドクタを筆頭にスタッフの皆さんは長袖で重装備で当然冷房が入っていて、出物腫物ところ選ばずといいますが鼻がムズムズしてきてしまっています。耐えられないことはなうけど念のためクシャミをしたいと思って執刀医のドクタにおそるおそる「クシャミしていいですか」と尋ねたらドクタは「今はダメ、耐えてください」。ドクタのその声音の真剣さと、もちろんクシャミの経験がありますからここでクシャミの動きをしたらスプラッタ映画みたいになるんだろうな…と想像でき、終了までしばらくのあいだ、ずっと耐えていました。

結果的には耐えることができていてそれはそれでよかったのですが、ただ術中に「耐えられてなかったら」ということを想像しちまっています。実際に起きたわけでは無いものの恐怖と隣りあわせのその想像を忘却の彼方へ追いやるのってなかなか難しく、ここではてな今週のお題「ゾッとした話」を引っ張ると、実際に起きたわけでは無い仮の想像を忘却できない思うに任せぬおのれの脳のポンコツぶりにゾッとするのですが。