不安や心配とその周辺

すべての回をちゃんとみていたわけではないものの以前東京ローカルのMXで夜にSHIROBAKOというアニメ制作会社の物語をやっていました。どんな話かは是非本作を視聴していただくとして、SHIROBAKOの中には本田さんという恰幅の良いふだんは穏やかな制作デスクがいます。ところが、本田さんの欠点は心配性不安性なところで、後輩にあたる制作セクションの主人公に対して気になることを矢継ぎ早に細かく多くのことを問い詰め確認しようとするシーンがありました。おそらく本田さんに悪気があるわけではなく、しかしやられたほうはたまったものではない(はず)です。記憶に間違えなければ本田さんはその場に居た同僚に「そういう追い込みかたをするな」と窘められます。コメディっぽく描かれてるものの、心配性とか不安性というのは心配や不安を人にぶつけたくなることがあること、そして人を変えるのだな、と視聴していて改めて気が付かされています。

いつものように話が横に素っ飛びます。

コロナの第2波の頃、この時間の〇武線に乗ったらコロナに感染するかも、的なものをTwitterで読んでカチンと来てしまっています。通勤に使うのは〇武線ではないものの第1波の頃から職種柄リモートができないのでずっと電車通勤してる身からすると「どないせえっちゅうねん」という感想のあと「ラッシュを回避できる身分でよかったですね」的ないくらかブラックなレスをつけようかと考えたのですが、上記の本田さんと同じで心配性とか不安性というのは人に余裕を無くすのではあるまいか、おそらく悪気があるわけでは無いだろうと考えて、していません。しかしそんなものを読まされたらたまったものではないのと、もともと意識高い系ではないので、SNS的なものから距離を置きはじめています…って私のことはどうでもよくて。でもなんで非リモート勢をあおりかねない不安に関する投稿をこのひとはするのだろう?というのはずっと疑問として残っていたのですが。

今朝(8月10日)の毎日の朝刊に「人を動かすナラティブ」という記事が出ていてどんなものかはぜひ毎日新聞をお読みいただきたいのですが、そのなかで不安を予測してしまう大脳皮質や快楽物質に関係する中脳に関する脳神経科学者の東北大の虫明教授の説を紹介していて、不安をあおる情報を投稿して拡散させつつも「いいね」を貰うことで快楽を得てしまうことに触れ、不安を投稿する→不安の原因が解消されたわけでは無いけど投稿によって快楽物質がでる→次の不安情報が来たらまた投稿してしまう、という依存的になってしまうループに触れていました。それが事実かどうかは私は専門家ではないので判断できる材料がないのですがしかしなんだか腑に落ちる説明で、第二波の頃の疑問のヒントになるかもしれなくて、唸らされています。

不安や心配事を抱えてしまうとひとはそれをだれかにぶつけたくなるのは本田さんを眺めてて理解できていたのですが、なんだろ、誰もが気軽に発信できるSNSとあわさると厄介で、人間の脆弱な一面を炙りだしてしまったな、という気が。かといって、距離を置く以外思いつかず、またSNSのない社会も暗黒かもしれず、ただ呆然としちまうのですけども。