手洗い20秒の継続

子供の頃居た家から一分もかからないところに個人医院がありました。ドクタは元軍医で当然のこととして小児科を標榜してるわけではないものの小児科はもちろん内科や皮膚科、簡単な外科処置までなんでもこなしていました。そこに溶連菌感染症でたびたびお世話になってた紅顔の美少年…じゃねえ冴えない少年が私です。両親の病気も記憶に間違えなければその先生にまず相談し、そこから別の病院を相談してもらっています。父が死んだ20年くらい前は80は越えていたはずですが引退はしておらず、菓子折りを持っていままでの礼を述べに行ったところ紹介先の病院から報告があったのか、父の死因についてあらためて説明を受けています(それからしばらくしてお亡くなりになった)。その元軍医のドクタのおかげで医者というのは博識でなんでも対処できるのではないか、と美しい誤解をもっていました。

それが崩れたのは母が抗がん剤の副作用を抑える制吐剤かなにかで糖尿気味になったときで、付き添いでついていったときになんのきなしに糖尿内科の先生に他科から云われた確認したいことをメモを基に伝えたところ、「申し訳ないけど」と断りを入れながら「他科のことまでは詳しくないんだ」と即答はせず、他科と連携してもらえはしたものの、その後も「わからないことはわからない」とはっきり云われています。専門医は専門外も明るいとは限らないということ、そして近所の元軍医のドクタが元軍医であったゆえにちょっと特殊だったのだということを、そのとき思い知りました。

話はいつものように横に素っ飛びます。

東京ローカルな話で恐縮ですが台東区に急患を受け入れる永寿総合病院というのがあって、今回の新型コロナ感染によって血液内科などで死者が出たクラスターが発生しています。そのことについて病院側が記者会見をして謝罪をしていて、その報道を眺めてて、違和感がありました。

いま私が住んでいる街の病院でもクラスターが発生していますが、保健所が介入してからもひと月くらい継続してちらほらと感染者がでています(病院と市役所が連携してその旨の発表があるのです)。今回の新型コロナはそれくらい厄介であるようなのですが、うちの街の病院は精神科でドクタがいたとしても「専門医は専門外も明るいとは限らない」ということを基に考えると感染の拡大を防ぐことに限界があるのはなんだかよくわかるのです。永寿総合病院は呼吸器科のほか複数の診療科があって、呼吸器科医以外の多数の専門医が専門外も明るいとは限らない前提で、なおかついまより新型コロナに関しての情報が少なかったわけで、その状況下での感染拡大を防ぐための対応は策を尽くしてもちょっと困難だったのでは?と思うのです。そこらへん踏まえて疾患ごとの病棟への変更等の対策の報告がとても大事なことであって、亡くなった患者の遺族等に対しての謝罪は別として、不特定多数の人の前で院長が頭を下げる必要があったのだろうか、ということを考えちまったのです。

もちろん私がそんなことを考えたところで事態が大きく変わるわけではないです。

永寿総合病院のスタッフの方の手記を読んで苦労されてたのを知ると、病院に迷惑かけちゃいけないよなというのが強く、7月半ばまで忙しい日が続いててリモートも相変わらずできず、その状況でできることは限られてますが、無症状で他人に感染させないようにマスクの着用と感染しないように20秒かけての手洗いの励行を続けるつもりです。