バターとコッペパンそれと揚げパンの記憶

博多華丸大吉さんの漫才のひとつに人間の記憶は不確かであると主張する中洲産業大学卒の博多のお父さんが出てきます。昨日なにを食べていたか?昼はちゃんぽんやったけど夜はなんやったかいな…と躓きます。私は昨日の晩飯はさすがに覚えてますがかなり前だと怪しいです。思い出す期間が子供の頃のことならなおのことで。

でも断片なのだけど、強烈に記憶してることがあります。バターです。

小学校の頃の給食で出て来た銀紙に包まれた四角い雪印バターはひたすら固く、舐めればもちろんバターの味はしたものの、温かくはないコッペパンの上に載せても挟んでも溶けるはずもなく正直厄介で、バターの歯ごたえをよく確認してました。あのバターはどうやって食べるのがベターであったのか、いまだに謎です。高校生のとき同級生の家で朝に食べた瓶詰のバターはゆるゆるで美味しくて「こんなバターがあるのか」と驚愕した経験があって、大人になってある程度お金が自由になってからはジャガイモに載せたりパンに塗ることを想定する場合は財布と相談しながらも可能なら比較的ゆるゆるめのバターを買うようになりました。給食の固いバターの経験から、子供の頃の味覚や舌の触覚に関する快不快の記憶というのはその後の行動を左右するのでは?と仮説を持っています。仮説を持ってたって検証のしようはありませんが。

給食は(学期末に必ずカレーがあったものの)、パンが主でした。冷めてたのでバターは溶けませんでしたが、それほど時間が経過して居なかったのかパンはパサパサだった記憶がまったくありません。コッペパンを揚げた揚げパンも外はカリっとしつつ中はしっとりしていた記憶があります。それが6年続いたのですけど、結果的に(朝はコーンフレークでパン食で無かったこともあって)パン=パサパサしてないものという思い込み+刷り込みになった気がしています。コロナ禍になってからあるパン店でおそい昼めし代わりにあんパンとピロシキを買うことがあったのですが、まずあんぱんがぱさぱさになり、その次の機会にはピロシキもパサパサになってしまったことがあって悲しくなっています。やはり給食によるパン=パサパサであってはいけないという思い込み+刷り込みが根っこにあったはずで、子供の頃の味覚や舌の触覚に関する快不快の記憶というのはその後の人生を左右するのではないかな、と。

さて、はてな今週のお題

Oisix特別お題キャンペーン「好きだった給食メニュー」

Oisix(オイシックス)×はてなブログ 特別お題キャンペーン
by Oisix(オイシックス)

なのですが、怒られそうなことを書くと・スポンサーの意図を読まずに書くと、固いバターとコッペパンと一緒になにが出ていたのか記憶にありません。揚げパンと一緒に出ていたのがどんなメニューだったか、いまとなってはミネストローネあたりが嬉しいのですが、やはり思い出せません。たぶんちゃんぽんで無かったのは確実ですが、博多のお父さんを笑えません。人はパンのみにて生くるにあらずというのに、それじゃダメじゃん