慎重に準備していたものを実行に移してもときとして「失敗したらどうしよう」ということを考えてしまいかねないのですが、いま目に見えないものは考えても仕方ない、考えても仕方ないものは考えない、目の前に何らかの問題が起きたときに事前に準備しておいた解を含めそのときの最適解を探るしかないよな、とその場では割り切ります。目の前のことに集中します。メンタルが強くないのを自覚してるので・不安要素に引きずられる可能性があるのでそうしてて、推移を観察はしても成否は深く考えないことが多いです。それがよいことかどうかはわかりません。職務上、失敗したら批判の矢面に晒される可能性のあることもいままでありました。結果オーライが多く致命的な失敗はいまのところありません。
相撲中継をほぼリアルタイムで眺めてはいないし熱烈なファンでもないので好角家とは名乗れないのですが、比較的相撲は好きなので注目の取り組みなどがニュースでやっていれば食い入るように視聴してます。ここ数年、気になっていたのが稀勢の里(きせのん)です。白鵬の連勝を止めたのはきせのんではあるのですが、大関時代に大勝負というか優勝争いに絡みそうになるととたんに失速というか器用に動けなくなるのをみていて、最初はスタミナ不足なのかな、次いでメンタルが強くないのかな、と思うようになりました。メンタルが強くないのは私もそうで、なので途中から変に連帯感をもってしまってました。(左手を相手の右の懐に差して組み合った状態を左四つというのですがその)左四つになってからはわりと強いものの、器用な力士ではないのはうっすら見てとれたのできせのんの取り組みをテレビで見るたびになんだか毎回ハラハラしながら(なぜ強いはずの力士をハラハラしながら見なければならないのか謎ではあるのですが)目で追っていて、勝てばホッとし、負ければ次はがんばってくれ、と届きもしないエールを送ってました。横綱になったときはよかったなあと思いつつも、横綱になったあとも器用な力士でないゆえにハラハラしながら眺めていました。だから引退の報道を知ったとき、「もうハラハラしなくて済むのだ」とちょっとだけホッとしたところがあります。人非人かもしれません。
叶わぬことと知りながら、もし稀勢の里関に質問する機会がこの先あったならば、どうやってメンタルの弱さと対峙していたか、後学のために訊いてみたい気が。