め組の碑

都営地下鉄に大門と書いてダイモンと読む駅があります。

実際、駅の上に大門があります。

門の西には増上寺があり、大門は芝の増上寺のものです。でもって増上寺の中にあるのが

め組の碑です。江戸時代に町火消ってのがあって、町火消48組のなかで芝の周辺を担当したのが「め組」で、増上寺の中に殉職者の慰霊碑があります。

関東ローカルの話題になっちまうかもなんすけど、この「め組」は喧嘩沙汰で有名であったりします。

史実としては(時間があんまりなかったので後ろからしか撮ってないのですけどNOKビルの手前の社殿の)芝神明宮の境内の相撲観戦に来た「め組」の人とその仲間が、相撲の木戸銭を払わなかったことに由来します。町火消は木戸銭なしだったんすが、町火消でない人も連れて来ちまったので咎められ、め組側が狭い料簡だなあと腹を立て口論となるのですが、その場は力士が介入して引き下がります。相撲見物を諦めたあと芝居見物をしてると、介入してきた力士があとから芝居見物にやってきて、みつけた「め組」側が力士の巨体をやじるのです。堪忍袋の緒が切れた力士がめ組の人々と喧嘩をおっぱじめちまい、火消側も力士側も仲間を呼んでの大喧嘩になります。木戸銭を払わない「め組」もどうかってのも成り立つのですが、手をあげたのは力士側です。でも腹に据えかねるヤジってのに耐えられるか、といったら、私の場合怪しいです。どちらが悪いか、といったら答えがありません。ヤジってのもわからないでもなくて、応報性っていうのかなあ、器量の狭い行為をした相手には器量の狭い行為をしてしまう、ってのもここらへんわかるのです。さらに喧嘩って、ささいなことからはじまるのですけど、おっぱじめると引くに引けなくなり負けるのはイヤという不思議な心理になります。だから仲間を呼んでの大喧嘩ってのも、そうだろうなあと理屈と関係ないところで理解できちまうのです。って血の気が多いてめえの話はともかく、もとに戻すとなぜかこの史実が琴線に触れるのか、歌舞伎や落語になってます。歌舞伎の場合遊郭での喧嘩がきっかけになっていますが。なんで琴線に触れるのかっていったら、みみっちい狭い料簡に腹たてることもあるし、暴力は良くないと知りつつも腹に据えかねる言葉を投げかけられたとき耐えられるかという、誰もが直面するかもしれない問題が根っこにあるからかもしれませんが。そんなことないかな。

でもって、芝のあたりは梅が見ごろになってきました。