かつて鉄道が好きだったおとなのちいさな感傷(ある鉄道趣味誌の休刊についての雑感)

昔話をさせてください。

新宿から藤沢や小田原方面へ小田急というのが走っていて、その沿線に住んでいるわけではないものの親に連れられて小さいころから縁があって乗っていました。

小田急の特急は警笛が特殊で今も昔もドミソドドソミド(ソは1オクターブ下)というメロディです。子供の頃にメガネを作ってもらうまでぼんやりとした視界の世界にいたのですが小田急の特急のメロディは認識できていて、その影響からかメガネを作ってもらったあと、鉄道にある程度の興味を示すようになりずるずるとはまり、十代の頃には鉄道雑誌をチェックしていました。当時認識していたのが写真が多い「鉄道ファン」、紀行文章が多い「鉄道ジャーナル」で、毎月は買いませんでしたがその2つのうち気になったものはやりくりして買い、買えないときは図書館へ行き目を通しています。

大学生になって働きはじめると趣味の雑誌にお金を払う余裕読む余裕がなくなりさらに大人になって資金に余裕ができた頃には鉄道への興味は以前ほどではなくいくらか醒めてしまっていました。大学の専攻も勤務先も鉄道関係ではありませんし、いわゆる乗り鉄でも撮り鉄にもなっていません。ただその残滓は残っていて旅行に行こうとするときに鉄道以外の選択肢がある場合「ほらシンカンセンなら酒が呑めるから」とささやきつつ彼氏を拝み倒して鉄道にしてもらうことがわりとあります。

いきなり話が横に素っ飛んで恐縮なのですがくだらない昔話を書きはじめたのは十代の頃読んでいた「鉄道ジャーナル」の休刊を最近知ったからです。

さきほど紀行文章が多いと書きましたが手法が独特で、ひとつの列車を始発から終着までどういう利用客が多いかを含め刻銘に追うスタイルで、かつ、沿線風景の描写やその写真もあり、東京神奈川山梨以外の地方をあまり知らなかった特に十代前半までの私にとっては鉄道趣味誌で未知のことを知ることが楽しみのひとつでした。冬の北陸の状況や北陸線の親不知子不知という地名や風景を知ったのもたしかその頃です。

しかし誰もが文章を書いて写真を撮りネットにアップすることが可能となったいま、言い換えると、以前は現地へ行くか雑誌を買わねば判らなかったような冬の北陸の状況や親不知子不知がどんな風景かインターネットで簡単にわかるようになったいま、なにかを知ろうとして読む場合に優位性が薄らいだ紙の雑誌が休刊を迎えるのもやむを得ないかな…感がでかいです。もちろん喪失のちいさな感傷もあるのですが、大人になってから積極的には買わなかったので大きな口は叩けません。

ソニーの出井さんというかつてトップを務めた方がインターネットは産業界に落ちた隕石だという趣旨のことを云っていた記憶があるのですが雑誌もその隕石の影響を受けちまったな感があります。

さて最後にくだらないことを。

北陸新幹線が開業して米原経由しらさぎでなく北陸へ行けるようになり親不知子不知というところを可能ならばこの目でみてみたい…と考え、初乗車のときに糸魚川を通り過ぎたあたりからちらっちらっと車窓を眺めていたのですが、いつのまにか新黒部へ着いていました。車掌さんに訊くと申し訳なさそうに「いまはトンネルで抜けてしまうので景色はちょっと」との答えでした。ので親不知子不知は実際に目にしたことがありません。いつか見てみたいと思いつつ果たせずにいるのですが、さてこういうのなんて云うのかな、と。確認鉄とか?(そんなものあるかと怒られそうなのでこのへんで)