マクベス

以前、ネット上の知り合いというか友人というか(一度も顔を合わせたことはないのですが)この人たくさん言葉を知ってそうだな、ってな2人が 「Jammin’ Words 〜 交差する言霊」というブログを立ち上げてて毎週設定した言葉に添って記事を掲載してました。言葉をさして知らないでいる私からするとひどく「興味深いことやってるなー」ってなことをしてて、で、他人の持ってる言葉を蓄積しながらやってることを傍観して面白がってるだけではなんだかなー、と思ったので途中から投稿させてもらってました。
しかしそのブログ、すでに更新が途絶えてて閲覧ができません。で、私と同じようにそのブログに投稿してた方が再掲載してるのを知って、どうせなら俺も(許可願を送付してて返信はまだだけど、当分の間は)再掲載しようかなあ、と考えた次第です。Jammin’ という言葉はたぶん、ジャズのほうから来てたはずで、どこかで楽器が鳴ってるのならそれにあわせてこちらも鳴らしておきたいし、そのブログで言葉についていろいろ蓄積してたほうからするといまではそれくらいしかその場で受け入れてくれたことへの礼の方法っておもいつかないなあ、なんて思ったのですが。


能書きはともかく、
以下、そのとき書いたもの。

07年12月第2週のテーマ「語学」(Jammin’Words 〜 交差する言霊)より



語学というと、もうちょっとやっておけば、ってのに尽きます。勉強があまり好きではないからなかなか身が入らなかったってのがあります。語学がたぶん面白いことが埋まってる宝の山への道しるべって判っていれば、ちと違ったかもしれませんが、そんなことはヒイヒイいってる時は判らなかったです。中学高校と6年間勉強嫌いながら歯をくいしばって英語をやって、大学受験を経て好きでなかった英語も基礎ができてるんじゃないかと思ったら、それが大きな間違いであったことに大学の英語の授業で気づかされました。割り振られた大学の英語のクラスの授業のテキストがよりによってシェイクスピアの「マクベス」で、すぐにその授業で今までやってきたことがあまり役に立たないことを思い知らされました。もちろん、原文というかシェイクスピアがそれを書いた時代と現代の英語がちょっと違うってのもあり、たとえば【There is】ってのを複数の主語の前で書いてあったりするので面食らったりしましたが、まだそんなのはかわいいほうです。言葉に複数の意味合いが込められてるのなんてざらで(例えばrumpという単語を臀部とも残飯ともとれたりする)なおかつ韻を踏んだりしてるので、それを生かそうとすると正直訳せっていっても辞書を漫然と引いただけでは適当な言葉がほんと見つからないのでなにも進まず、予習範囲を前にして気絶してるわけでもないけど時間だけがどんどん過ぎていっちまいました。一言で言えばシェイクスピアの書いた「マクベス」は私にとってむちゃくちゃ難儀でした。
その難儀な英文を訳すってことが毎週苦痛で苦痛でたまらなかったです。マクベスの授業の前日は最初のうちは気分的には歯医者の予約の前にそわそわするのに近く、マクベスの言葉を借りると
「If it were done when`tis done then`twere well It were done quickly」
(やってしまっておわりっていうならはやくおわらせちまったほうがいい)
でした。


マクベスのいちばん最初の幕で三人の魔女が出てくるのですけどその魔女のセリフに
「Fair is foul,and foul is fair」
なんてのがあるのです。これを考えずに訳せって言うと、けっこう簡単です。そのあとHover through the fog and filthy airってあるので【filthy air】のよごれた空気を生かして
「きれいはきたない、きたないはきれい」
ってやればいいんですけど、しかし、これだけではなんだか意味が有るんだかないんだか判らない訳であったりします。まあ、魔女がしゃべってるわけでひょっとしてなぞかけみたいなもんかな?なんて最初はおもってましたが読みすすめてくうちにこの文がけっこう重要なこととわかってきました。
ところでこの魔女たちってのが非常に重要な役回りで、マクベスは王になる野心をひそかにもってたところを魔女たちに言い当てられ 、また魔女たちの預言をきいた野望に満ちた夫人の教唆により王になる野心を実行に移し、王であるダンカンを暗殺して王位を奪います。で、マクベスの「If it were done when`tis done then`twere well It were done quickly」ってのは暗殺を実行する前のものです。猛将であってもマクベスは根っからの極悪人でなく、マクベスは手に入れた王位を失うことへの不安から次々と血に染まった手で罪を重ねていきます。そしてマクベスは疑心暗鬼に陥った末にこの三人の魔女たちの出した幻影の預言通りの末路を迎えます。
で、すべてと読むと【Fair is foul,and foul is fair】が果たして「きれいはきたない」なんて訳でいいのかっていう気になってきちまいました。私は正当は卑劣っていう意味に思えてきたのです。魔女たちにあい野心を実行すべきだとマクベス自身が確信してどんなに正当化してもやってることは卑劣そのものっていう風にもとれますし、最後は殺された王であるダンカンの息子が王位にあったマクベスを討つわけですがそれをどんなに正当化してもそれもまた抽象的には王殺しの殺人であってマクベスとどこが違うのだ?っていってるようにもとれるのです。



さらに追い討ちをかけるように英国法の勉強をちょっとだけかじると、もっと複雑な気持ちになってきました。英国の法や制度を学ぶとわかるのですが、英国は実体法と手続法の区別も(大陸ほど)厳格でなかったし、法と道徳の分離という近代法の大原則も最近までなかったような曖昧さが持ち味の国です。それらを考えると卑劣とか正当ってのはほんとは曖昧で絶対的でなくそもそも言い切れるものでなく【Fair is foul,and foul is fair】ってのは正当は卑劣なこともあるし、卑劣なことが正当ってこともあるというのも、シェイクスピアのいいたいことだったのでは?って思えてきたのです。いろんな解釈が可能なのですけど、意を決して一番最後の授業が終わったあとそんなような【Fair is foul,and foul is fair】について考えたこと(いまのべたようなこと)を教師に伝えに行きました。いまから思うと(たぶん英国史を知悉してるはずの)その道のプロによくいえたものだと思うのですが、一年間授業を受けてただけの怖いもの知らずの未成年の大学生の意見に丁寧に耳を傾けてもらえ、一笑に付されることもなかったです。そのとき、英語をいやいやでなくもうちょっとまともにやっておけば良かったってのと、英語って勉強すれば実はその向こうにはおっそろしく面白い世界が広がってるんじゃないか?ってことに気ががついたのですけど。

ただ転部して英語を専攻することもなく私は法学部を卒業しました。しばらくしてからこのマクベスの授業で現代にいながら一年間シェイクスピアの世界に浸るというある意味とんでもなく稀有な体験をさせてもらえてたってことがわかったのですが、そう思うと尚のこときちんとやっておけばよかった、深く知ることができたのでは?っていう後悔の念が強くなりました。


大学の語学の単位をとり終わるとあまり英語とは縁のない生活になりました。海外にも行ったこともないのですが、英語をもうすこしやっておけば良かったってのは、ないわけではありません。ユースホステルに泊まるとたまに外国からのホステラーの人と同室になることがあります。彼らはわざわざ海を渡って日本に来るくらいですから日本に興味があっていろいろ話しかけてくるのですけど、おっそろしく不自由な英語で受け答えしてるときに真剣に会話を聞いてくれてるのを見ると本気で申し訳ない、という気になってきます。こういうときも、もうちょっと英語まともにやっとけば、なんてそのときは思うのです。たぶんストレスなく会話が弾みもっと有意義に会話ができたはずで、自らの勉強嫌いが楽しみを削いでしまったのかな、と反省することしきりなのですが。

英語をやっておけば、もっと世界が広がったかもしれない、と判っててこれだけ後悔しときながら昔もいまも踏み出せてません。その前にほんとは勉強嫌いをなおさなきゃいけないんですけど。それもまた難題であったりします。


(文中の英文はWシェイクスピア著・中島文雄解説注釈「研究社小英文叢書MACBETH」・1952研究社から引用のものです)