なにかを零れ落としてる

たぶん以前にも書いた記憶があるのですが、シェイクスピアマクベスに大学生の頃にぶちあたっています。すごくシェイクスピアっておっかなくて、たとえば

Present fears. Are less than horrible imaginings

という一文があったりします。目の前の恐怖なんて、想像からくる恐怖におよばない、とでも訳せます。人って目の前のことよりも起きてもないおのれの想像に引き摺られてしまうことがあるはずなので、そういう訳しかたをしてきました。でもって前後を説明すると、このセリフの頃までにマクベスは事前にいくつか予言的なことを云われるのですがしかもその予言には「将来の王」というのがあり、予言があたりつつある段階ででも王はまだ存命です。王座に就くには王殺しをしなければならないことに思い至り、マクベスは単なる想像に圧倒されそうになっています。マクベスがどうするかは戯曲をお読みいただくとして、あたまの悪いわたしはここで疑問が生じます。王殺しの想像を恐怖と訳していいのかです。fearは英和を引けば恐怖のほかにおびえとか懸念とか不安などの訳語があるのですが、英語と日本語のあいだになにかを零れ落としてる錯覚というか感覚というかもどかしさというか、もうずっと、どれもしっくりこないと感じています。

また

「Tell me where is fancy bred, Or in the heart or in the head?How begot, how nourished?」

きっと繰り返して書いてると思うのですが、ヴェニスの商人の中に出てくるセリフです。無粋な訳をかけば、気まぐれな心はどこからでたの?胸の中?頭の中?どうやって宿して、どうやって育つの?というようになるのですが(ついでに書いておくと答えは用意されてて「It is engender'd in the eyes」)、heartとheadが韻を踏んでるほか、Tell↑ me↓ where↑ is↓ fancy bred↑っていうように言葉の語尾が上下上ときれいにそろってて、原文のきれいさを考えておのれの日本語訳を並べると英語と日本語のあいだになにかを零れ落としてる感が強いです。

シェイクスピアの書いてる作品に精通しているわけではありませんし英語もそれほど理解しているわけでもありません。そもそも現代日本に生きるあほうがく部卒の私が古典の世界のシェイクスピアの作品を理解しようと思うのがどだい間違ってるかもしれません。が、拙い理解の中でもその作品に私でも理解できる身体の感覚があって、不思議と引っ張り込まれちまいます。引っ張り込まれながら英語と日本語のあいだで零れ落ちるなにかを拾うには翻訳者ではない(勤務先は4階の)一介のサラリーマンができることといえば、↓スポンサーの意図や空気を読まずに書くと辞書を手にもうすこし長考することであってすくなくともしゃべることではなさそうなのですが。

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