大嘗宮の材の不思議

都心部へゆくついでに、二重橋前駅で降りて東御苑へ。

大嘗宮の一般公開を見学しようとして、案の定、セキュリティチェックを含め途中から大行列で、その行列も牛歩のようにしか進みません。それほど寒くなかったのが幸いだったのですが二重橋前駅から大嘗宮前までたぶん一時間くらいかかっています。大人の迷子の放送も入っててああはなりたくないなというのがあったので、はぐれないように進むのが精一杯で見学はしたもののあんまりまともな写真を撮れていません。

膳屋とかいてカシワヤと読む、神饌を調理するための建物です。膳屋は東西に対になるように2つあってこれは東側のもの。むしろのようなもので覆われていて、そこにくっついてるのがスダジイの葉です。スダジイをわかりやすくいうと、しいたけのホダ木、もしくはどんぐりの木のひとつです。

建物ではなく、手前の柴垣をみていただきたいのですが、不思議なことにこのスダジイの葉があちこちに飾られています。常緑樹なのでもしかしたらそれに関係するのかな、と想像は膨らむのですが、だったら松でも良いわけで。なんの意味があるんだろう?とおもったのですが博物館ではありませんからもちろん解説はありません。

なんだか他人のカメラを撮ってしまってる気がしないでもないのですが、鳥居が原木です。原木の鳥居、というのを実ははじめて見ました。木材は樹皮や樹皮のそばの白太が腐りやすく、樹皮と白太は剥いで使うものだという意識があったので、正直不思議でした。ほんとに長くは持たさない前提なのだと思われます。材をあとで職員の方に訊いたら(家具の材料にもなる木でもある)ヤチダモとのこと。

右手前が火を焚いた庭燎舎なんすが、柱がそのまま地面に突き刺さってるので「え?どうなってるの?」とこれもあとで訊いたら、大嘗宮は基礎工事は一切してなくて、柱が2メートルほど埋まってるだけなのだそうで。丘陵地ですから2メートルあれば固い地盤にぶち当たると思われますが、つまるところ掘っ立て小屋です(なお式年遷宮のある伊勢神宮の正宮も掘っ立て小屋です)。

垣の内、右の白い帆布屋根の建物が新穀を収納した斎庫、その隣の千木と鰹木が載っているのが天皇が神饌を供えてそして食べた主基殿、左の建物が廻立殿という着替えのための部屋です。で、わかりにくくて恐縮なのですが、主基殿と廻立殿はカラマツを樹皮つきでそのまま構造材として使ってるところがちょっと不思議で、繰り返しますが樹皮と白太は剥いで使うものだという意識があったので、正直びっくり。長くは持たせないための建物なのだなあ、とは理解できるのですが、でも、なんでなんすかね。大嘗祭がはじまったのが聖武帝の頃だと新聞で読んだ記憶があって、その頃には樹皮と白太の部分は腐りやすいという材木の知識はおそらくあったはずで、でもそうしなかったのは不思議と書いてばかりなんすけど、不思議です。令和の人間は聖武帝の天平の頃の人たちの考えかたが理解できないってことだけはわかったのですが。

行列を見て内心一瞬ひるんだのですが・大嘗祭にさして興味はなかったのですが、でも途中から材が気になったので、興味深かったという感想を持っています。なお8日まで公開中です。坂下門から入るので、二重橋前より日比谷のほうが歩く距離は少ないかも。