隼人発声

いまの上皇陛下が天皇時代にがんの治療のための通院から戻る道中、冬でも窓を全開にして手を振ってるのを目撃して、(死んだ母親ががんであったので多少の知識があって)いまやってるはずなのはホルモン療法だから白血球が減少して風邪をひきやすくなるわけではない、と知りつつも、誰か止めなよ、真冬に自動車の窓を開けなくてもいい市井のがん患者と同じにしてあげなよ、という感想を抱いています。以降、冬の日に病院の通院時であっても天皇は窓を開けて手を振るのがあたりまえであるという空気がこの国にあるとしたら、天皇制というのは人を人として扱えない制度だよなあ、という考えを持つようになっています。天皇制打倒とかそんなことは考えていません。が、慶事とされてる儀式のダイジェストを眺めながら慶事とはなんとなく思えず、新天皇が万一病を得たら市井の病人と同じ扱いができるように社会が変わればいいな、などと世が世なら不敬罪になりかねないことを考えていました。

話はいつものように素っ飛びます。

「歴史を紀行する」という司馬遼太郎さんの紀行文があります。取り上げられてるのは土佐や加賀、三河、薩摩、会津、近江などですが、その本を読んで興味深かったのが薩摩の隼人と云われる人たちの存在です。日本書紀の頃から薩摩に居た隼人は反乱を起こしているものの、その隼人がいったいどういう人たちなのかがすくなくとも昭和の司馬さんが執筆していた当時は判っていないらしく(不勉強なので私も良くは知らないのですが)、風俗も異なれば種族も異なっていた、とされています。すこし謎なのです。

謎ついでに書くと不思議なのは武勇をたたえられ敵ながらあっぱれということなのか後世になって「隼人」や「薩摩隼人」という言葉が(関ケ原で壮絶な退却戦をしたからもあるかもしれないものの)薩摩藩の武士に対しての美称や、いまでも良い意味での鹿児島の男に対してつかわれるようになっているところです。おそらく一地方の男を指しての美称は隼人・薩摩隼人だけだとおもわれます。一地方の男を指す言葉に他に東男というのがありますが、こちらは粗野で田舎者的な蔑称っぽいところがないわけではありませんって話がズレたので話を戻します。

でもって宮中の儀式で隼人が関係してる不思議さも司馬さんは述べています。孝明帝即位のあとの大嘗祭の式次に「隼人発声」というのがあり、朝廷の役人を隼人に見立て裸同然の格好をさせて、吠声と呼ばれる犬の鳴き声に似た声を出させていたのだそうで。東博で展示されていたいまから800年前の伏見帝のときの大嘗の図面にも隼人の立ち位置が載っていましたから、どうも長い歴史のようで。

世が世なら不敬罪になりそうなことを重ねて書くと門外漢には奇怪というか不思議に思える式次を知ってしまったいま、いまでも隼人発声ってやるのか・それがどんなものなのか、とか、慶事慶事と思えなくなってきてるので野次馬的に大嘗祭がなんとなく気になっています。テレビでそんなことはやらないだろうし、知ったところでこの先の人生の役に立ちはしないのですが、なんだろ、不思議に思える役に立たないことほど惹かれることってないっすかね、ないかもですが。