雄観奇想

夏にも旅行してますが、いくつか抱えてる懸案のうちのひとつが、ひとやま超えたこえたので三日ほど休みをもらって旅にでてました。
○遡及日誌一日目
でもなかなかうまくいかないもんで、京都について9時過ぎに地下鉄の駅を降りたらもケイタイに連絡が入っててうわー、と思いながら、処理。

片付いてから、成道会の日だったので、千本釈迦堂の大根炊きをいただきに。うまかったです。
【雄観奇想】
蹴上にあるうえに雄観奇想とかいてあるねじりまんぼ。向こうは南禅寺方向になります。

ねじりまんぼってなんやねん、といわれると工学部出身じゃないのできついのですがすくなくとも「ねじり」はレンガ組みからきてます。レンガをねじらせるように組み上げてトンネルをつくってあるのです。雄観奇想ってのは、雄観はすばらしい眺め、奇想は普通じゃない発想、って意味ですが、ここらへんいったいのことを示すのか、それともこのトンネルをさすのかわかりません。

トンネルの上には線路があります。インクラインというのですけど、

水運に使った舟を運ぶ線路です。この舟は琵琶湖疏水に浮かべてた船です。奥の水の流れが琵琶湖疏水。琵琶湖疎水ってなんやねん、って言うところから説明すると、琵琶湖の水を京都に導水して、その水を京都の上水道・電力に使ってました。で、水路に舟を浮かべて物資を運んでました。

南禅寺という寺はいまでもあるのですが、江戸時代はもっと広い敷地を持ってました。明治になって南禅寺は敷地のかなりの部分を失います。その敷地に明治時代、工業地帯を作る計画がありました。水道も、材料や製品を運ぶ運送も、疎水があるからばっちしです。実際、それを見越して水力発電所までは作られてます。でも、計画倒れに終わっちまい、かわりにできたのが、別荘群です。たとえば野村證券の野村家や、細川家などがここに土地を購入して工業とはまるで正反対の、なんの役にも立たない別荘を全力で作りはじめます。

NHKの番組でこのあたりのことを知って来たのですが、疎水から流れてる水路が、たしかにいまでも各別荘地・別荘跡地に流れてます。

そのうちのひとつが、山県有朋の屋敷であった無鄰菴です。庭園作りで定評のあった七代小川治兵衛と山県有朋がいろいろぶつかりながら手がけた作品です。向こうに見えるのが東山の山並みです。でもって北となりは道を隔てて動物園などがあるですが、まるで別世界です。疎水の水はここにも流れてます。京都市が今は管理してるので、誰でも見学ができます。12月に来るより、春か夏、せめて紅葉の時期のほうがいいかもしれないです。

疎水を計画してたときの雄観奇想とはちょっと違うと思うのですが、雄観奇想ってのはうまい云い方だなあ、とおもいます。しばらくここでぼんやりしてました。
【いまくまの観音】
西国札所いまくまの観音です。(自分用ではないのですけど)頭痛封じのまくらカバーを分けてもらいにきました。頭部領域の観音様って言う説明が妥当かもですが、頭痛封じや知恵授けの観音様がいます。
私はなぜか仏様に自分のことについて何かをお願いする、っていうことがなんとなく苦手です。あんまりしたことがありません。観音様に自分の頭がよくなるように、っていうことをお願いするのに抵抗があるのですが、ここでは頭がよくないことを自覚してるのでそれをしました。

でも頭がいいとか知恵ってなんすかね。でもって知恵がつく、ってのは悪知恵が働くってことばのように、いいことなのかどうかはわかりません。正直、自分の身につけた分野についてはさすがに30年以上生きてると知識はついてきた気もしますが、それをうまく生かしてるかどうかはわかりません。来し方行く末っていうか、このさきどんくらい生きてられるのか、なんてことをぼんやり考えはじめてて、のこりを巧く生きぬく知恵がつけばなー、なんてことを考えるように最近はなってきちまいました。死んでもバカは治らないきもしますが。
南禅寺はほぼ散ってたのですが、なぜかここではまだ紅葉がきれいでした。

このもみじを撮影したあと、ひとり旅の若い女の人がもみじを拾って手帳にはさんでたんすが、ああ、紅葉狩りってそういうことなのか、ってのをあらためて思い知らされました。もみじを見ても掃除が大変そうだなーとかしか思わなかったむくつけき東男はやはりなにかが欠けてます。
三条通
東海道の終点は三条大橋ですが、そのさきにあるのが三条通です。
で、この三条通というのはなぜか南にある四条通や北にある御池通とことなり不思議と拡幅工事が行われずにいて、興味深い建築があります。たとえば京都文化博物館別館。

日本銀行京都支店です。明治39年辰野金吾の設計です。日本橋本石町の日銀本店と設計者は同じです。レンガつくりで、狭い三条通から見上げるとけっこう威圧感があって、やや装飾過剰な気がします。でも銀行という性格・京都というまちの性格を考えると威圧感があるくらいがいいのかなあ、と。英国風の意匠なんすが、そういわれればそうかなあ、って気もします。
で、そのさきにある不思議な建物が京都ダマシン・旧家辺徳時計店です。明治23年建築。

1階部分3連のアーチがあるのに肝心要のところがショーウインドで支柱がありません。2階も同じで、柱があっても不思議ではない場所に柱がありません。なんでこんなことになってるのか、っていったらこの建物の骨格は木造で、3連アーチも2階の柱もどきの石もレンガも単なる装飾だからです。設計者は不詳で、洋風はこんなものなのではないか、と頭をひねって作ったのかもですが。
古い建築ではないものの、対比の意味で興味深いのをもうひとつ。

高瀬川べりにあるTIME'Sです。安藤忠雄さんの設計。昭和59年築。建築畑の人なら知ってることが多い建物です。建物自体には装飾はあまりありません。
たぶん高瀬川があふれることがないであろうということで川に面して柵がないテラスをつくり、川べりを生かして半地下にも光が差し込む設計になってます。ほんといろいろと練られてる建物で、この建物はけっこう歴史に残る名建築じゃないか、と私も思ってます。


歴史があるってことは、過去と現在を対比できる、ってことで、有名無名の建築家が頭をひねった建物がなぜか三条通にはあります。なんか磁力のようなものがあるのかもっすけど。
神戸ルミナリエ
京都で用を済ませたあと阪急電車を乗りついで、神戸入り。目的はルミナリエ見学です。ルミナリエは今年で16回目になります。

光ってのは不思議で、ないとあるとでは大違いで、闇夜に光あると人って不思議と安心します。震災時にローソンに売るものがなくても、市民感情を斟酌してなるべく照明だけは落とさなかった、という話を聞いたことがあるんすが、そのあと神戸で光の祭典をやるようになったのは、個人的にはなんとなく腑に落ちます。

悲しいかな不況の影響ってのはここにもきてて、協賛金が集まらないのか継続のための一口100円の募金の協力をあちこちでよびかけてました。そういうことならと募金のほかに収益をルミナリエの資金に充てる宝くじを買ったら実は1000円があたりました。灘が近いしちょっとだけ良いお酒を買って呑もうかと心が動いたものの、やはりそのまま募金箱へ。
良いもん見せてもらえたお礼と、できれば来年も無事開催するための足しになれば、と思ってなんすが。
○遡及日誌二日目
一乗寺
神戸から粟生というところを経て加西市へ。一乗寺という札所を目指します。バスで行けないことはないのですが、本数が極端に少ないので5キロほど離れたローカル線の駅からひたすら歩きはじめました。歩きはじめました、って書いてますが、四国と違って目印はほとんどありません。地図を頼りに歩いてました。でも地図の通りに歩いてても知らない町ですから不安になります。不安になるので他人に尋ねたいところなんすが、トラックは通るのですが人がいません。頼れるものがない、文字通りの孤独です。孤独に耐えうるのはただひたすら自ら動くことっす。動かないと孤独はかわりません。でもってひたすらこの道であってるはずだ、と思い込んで歩いてました。たとえ間違ったとしてもいったん間違えた分岐点までもどればいいんすけど。でも、悲しいかなその失敗の時間がどこか惜しいと思っちまうのが凡人の悲しさです。

惜しいってのはなにか、っていったら、どこかを間違えて実現されなかったことに関しての、取り返しのつかない、失っちまった時間のことです。損得っていうのをいったん考えはじめると失ったものに対する意識がついてまわります。だからあんまり損得を考えないほうがいいんすが、やはりどこか考えちまいます。困難な道を切り拓いてるそばで別の方法で巧い具合に切り抜けた人なんかをみてると、あ、俺損してるのかな、とかっす。じゃあ、損をしない、間違えないのが良いのか、っていったらそんなことはないはずなんすけどね。損といっても原因を突き詰めれば損をしない人に比べてどこに問題点があるか、ってことを知ってるぶん、つまるところよく判らない部分が少ないぶん、損をしなかった人より得はしてるのですが。失う、という経験も同じことがいえるかもしれなくて、失ったことがない人より、失った人のほうが、どこかプラスの部分があるんじゃないか、と。
でもって、失敗しないこと・失うことを恐れるな、というのは理解してるんすが、それでも間違えるってことは時としてすごくストレスで、同時に間違えないように心がける、ってのもまたこれまたストレスなんすけど。でもって惜しいとか悔しいとか損してるなーとかの、それらを捨て去ることができるかっていったら、どんなに年をとってもやはりできそうに無いなあ、なんて思います。
ってなふうに、凡人なので歩いてるうちに無の境地には至らずに、あれこれ余計なことまで考えちまいます。
わけのわかんないことを考えてるうちに(一人も逢わないうちに)、

なんとか無事に参道にたどりつきました。

一乗寺は四方を山に囲まれた中にありました。三重塔は平安時代末期のもの。ちなみに創建は(インドから仙人が雲に乗ってやってきた)650年です。三重塔では古い部類です。よくみると屋根は上にいくほど小さくなるように造られててどこか優美なつくりになってます。で、風が無いかわりに、陽もあまり差さないところなので、立ち止まってるとひたすら寒かったっす。門前で熱いお茶を頂いたのですが、それが身に染みて美味しかったっす。お茶を飲みながら八回既に回ってる人としばらく話しこんでました。
書写山
一乗寺の門前を通過するバスをつかまえて姫路市内にでてから、こんどは書写山というところへ。

ロープウェイがあるらしいのですが、ロープウェイの駅へ行くバスに乗らなかったので、ふもとの集落のバス停まで行って参道とおぼしき道をのぼりました。参道っていっても、どうみても山道です。勾配もきついです。かといって途中で引き返すってことをするのもいやなので、こんどはなにも考えずにひたすら参道を登ってました。ただ失敗したなあ、とおもったのは、さきほど頂いたお茶と持参の水分以外は朝からなにも摂取してなくて、腹が減っててすこしふらふら気味で、なんどかひやっとした場面がありました。粟生や姫路で何か買えばよかったのですが、いまさらおそかったりします。腹が減っては戦ができぬ、ってのは、たぶんあってるはずです。山登りは戦じゃないですが。

道はきつかったのですが、眺めはよかったっす。

およそ一時間くらいで圓教寺という札所に到着。天台宗の三大修行道場の一つで、武蔵坊弁慶が一時いました。余談ですが、映画「ラストサムライ」がこの地でロケをしてたらしいことを後になって知りました。知ったところで映画を見てないので、ロケ地を見ようって気にもならなかったんすが。

摩尼殿というのですが、清水の舞台とおんなじで、舞台造です。勤行のあとしばらく見学してたのですが、けっこう近くで見ると圧倒されました。でも大正時代に焼け落ちてしまい、これは昭和初期に普請したものです。
で、別の道を降りたのですが、勾配がやはりきつくて、ちょっとこわかったです。ロープウェイがかかってる意味をそのとき理解しました。
【姫路城】
姫路城そのものはいま改修工事中です。なもんですから、となりにある庭園・好古園へ

昔からあるものではなく、江戸時代の屋敷あとを再整備して平成になってから作り直したものです。でもちょっと見応えがありました。

で、姫路城天守閣はこんなかんじ

どうみてもビル工事現場です。きれいになったら機会があれば見学したいところ。観光に来たわけではないので、悔しくはないのですが。ただ悔しいというほどではないけど、播州出身のブロガーさんがかいてた、しょうが醤油つきのおでん(関東煮)を食べそこねたのがちょっと心残りっす。悔しいで思いだしたんすが

みなさまの足・阪神電車がいまは姫路から梅田まで直通してます。ただ阪神特急がフルスピードで快走してても、須磨浦で並行して走る後から来たJRの新快速に目の前で見事に抜かれちまいました。目の前で抜かされるとおだやかではいられないというか微妙に悔しいもんすね。
○遡及日誌三日目
【奈良】
泊ってた宿を朝早く抜け出して、

奈良の平城宮跡へ。既に1300年祭は終わってて祭りのあとなんすが、朝の景色を無性に見たくなったのです

早朝ですから、誰もいません。独り占めです。ただし寒かったっすけど。こういう馬鹿げたことを私は平気でやります。

教科書にかかれれたことが、このあたりで有ったんだろうなあ、ってなことを考えると、なんとなく昔覚えたことが身近に感じてくるから不思議です。でもそれは錯覚なんすけど。ちなみに朝九時にならないと建物の中には入れません。


朝ごはんを食べた後に興福寺近辺へ。うしろに見えるのは今年からはじまった、江戸時代に焼け落ちた中金堂の再建の工事現場です。

冬だしすいてるんじゃないかと期待して行った興福寺は修学旅行生がすごかったんすが、阿修羅像にも対面してきました。想像してたより生々しいというか、次の表情が想像できるようなつくりのせいか、どこか仏像という気がしませんでした。私は彫刻をやってませんが、もし彫刻をやってたら嫉妬するほど生々しいです。あの時代に阿修羅さんの顔のような感じの人がいて、それを生き写しにしたのかなあ、作った人はそのひとに仏様のようなものを感じて彫りだしたのかなあ、ってな関係ない罰当たりな感想をもちました。仏様って、川向こうとか敷居の高いところにいるとは私は思ってなくて、同じ目線で人の姿かたちをして娑婆でテキトーにウオッチしてるイメージを持ってたので、なんだか親しみを持てたんすが。
さて、東大寺

こちらは大仏さんがいます。私は信仰というのは仏さまの前に身を投げ出すようなものだと思ってて、(私の場合は仏像は必要ないのですが)目に見える見守る存在が必要な場合もあるのかなあ、なんて大仏さんを見てて頓珍漢な感想を持ちました。人間不安なときは、だれかに見守ってもらってる、ってのは安心します。そういう作用があるってわかってるから人って像を必要とするのかも、なんてことを考えてました。ちなみにここも焼けおちてます。いまあるのは江戸時代の建物です。
ところで大仏殿再建や大仏建立に際して、はたして材料・材木をどうやって運んできたのか、ってのが、全然調べてないけどそのうち調べたい課題です。考えるとおもしろそうなんすけどね。

外人さんがシカを面白そうに見てたのですが、そうだよなー、と思います。世界中どこ探したって、こんなところ、ないんじゃないかなあ。

眠れるシカです。
どこか帰りたくないなー、ってのがあって俺のかわりに東京に戻って仕事片付けてくんねーかな、と頭の隅でシカを見ながらほんの少し思いましたが無理そうです。そういう考え方自体がどこか危険っす。現実逃避・浮き世離れもそろそろこれくらいにしとこう、と考えて東京に戻ることに。
【おまけの南座前】
丹波橋乗り換えで四条へ。
海老蔵丈のいない南座です(まねきを確認したらもうありませんでした)。

そういや去年もこの前を通過したよな、来年、どうなるか予想がつかないんすが、またまねきをみれたらいいな、なんてことを考えながら、鴨川を渡って東京に戻りました。