栂ノ尾へ

日曜+月曜で休みをもらって奈良と京都にいました。
【奈良・ならまち】

近鉄電車で奈良に入ると近鉄奈良へ着くのですが、

駅前にあるのが「ひがしむき」商店街です。奈良は何回も来ている町ですが、この「ひがしむき」商店街がなぜ「ひがしむき」というのかは正直最近まで知りませんでした。知ったのは録画して視聴したブラタモリです。

ひがしむき商店街から東を向くと高台の上の先にあるのが興福寺です。

ひがしむき商店街から興福寺へ通じる坂道の上には興福寺の伽藍のひとつの北円堂という建物があります。仏像に興味があんまりないのですがこの北円堂のなかにいた無著と世親というお坊さんの像があって存在感がそれなりにあって、静かなんだけど意志の強そうであることがひしひしとわかります。むかし絵を描いていた人間からすると(阿修羅さんもそうですが)彫った作家に嫉妬したくなるくらい巧い、次にどんな表情をするんだろうと思わせるような、人間らしい作品です。ついしばらくじっと眺めちまいましたって、てめえの感想はともかく。

以前は興福寺を向いた道の西側にそって東向きにしか商店がない・東側に商店がないので「ひがしむき」であった、ということのようで。番組内で興福寺と東向商店街のあいだの坂・高低差は断層によるものである、という説明もあり腑に落ちたのですが、この国ってほんとあちこちに断層ってあるんすね。

高低差を実感したあと、奈良へ来ると必ずおまいりする春日大社のほか

通称「ならまち」を散策

以前、口にしておいしいと思っていた「春鹿」という蔵元に立ち寄るつもりだったんすが

残念ながらお休みで、次回のお楽しみに!(次回があるのか)
【五山送り火
京都に宿をとっていて、京都に戻って浴衣に着替えてから五山の送り火を見学しました。

相変わらずけっこうな人出です。小さくてわかりにくいかもしれないのですが、大文字が点火した直後に背伸びして一枚。

別のところに移動しようとして一枚。やはり小さくてわかりにくいっすね。
でもって三条京阪出町柳でちら見してつくづく思ったのですが、京都の不思議なところは若い人も中年も壮年も含め和装の男がけっこういるところです。ですからこっそり東京から紛れ込んでも悪目立ちしなかったはずです。
高山寺
翌日は四条大宮四条烏丸から1時間くらいの、栂ノ尾というところへ。

山の中に(ほんとに霧深い山の中に)高山寺という古刹があります。

高山寺の中に石水院というところがあり、鳥獣戯画を見学しにゆきました。サル、カエル、ウサギなどが擬人化して描かれてる書物です。本物は国立博物館にあり、もともと高山寺にあったものですが保存を東博・京博にお願いし、高山寺には複写だけあります。でもって展示してるのは複写の一部だけです。意図としては世俗を風刺しているのではないかとか、人間は動物であるという意味なのか・人間は動物と変わらないという意味なのか、誰が何のために作ったのかを含め、謎は多いです。謎は多いのだけど、とても惹きつけられる絵です。いざ複写を目の前にするとつい見入っちまいます。また鳥獣戯画のほかに子犬(狗)の木彫りがあります。最初は栂ノ尾まで来ることに乗り気ではなかったのですが、子犬にであえたことでチャラにしてもいいくらい、とてもよくできたもの。

あまり良い天候ではなかったものの、とてもありがたいことに偶然貸切状態で、ゆっくりと見学しました。
神護寺
高山寺からそれほど遠くないところに神護寺というところがあります。徒歩20分なんて書いてあったので、ああ近いのかなと思ったら

やはりここも霧深い山の中で石段を汗だくになって登りました。

わりと有名らしいのが「かわらけなげ」です。どういう理屈かは謎なものの、素焼きの小皿を買って投げると厄落としになるのだとか。厄を落としたいとおもってたわけではないけどここまで来たならと、2枚100円のを買ってシェアして投げてきました。

投げる先が錦雲峡という渓谷です。この谷には無数の小皿が落下してるのかと思うとなんだかとても奇妙な場所に思えてきます、でもって、ものを大切にしろと教育を受けて育ってきたので皿を投げた経験がなかったのでちょっとどきどきしたのですが、厄除けってもしかしたらやったことないことをするぷち度胸なのかもしれません、ってちがうか。

ここもなぜか貸切状態でした。
【四条木屋町
栂ノ尾からもと河原町阪急の裏というか四条木屋町へ移動して

フランソアという戦前から続くコーヒー店に寄りました。ドーム状の天井があり、ステンドグラスがあり古い赤いソファに薄暗い照明の、とても不思議な空間のところです。コーヒーはどストライクのではないけど若干酸味がある万人受けするであろう、キライではない味でした。こういったコーヒー店がさりげなく愛されてるのが、京都ってすげーなー、と思わされちまうのですが。

一泊二日の駆け足の旅行で、もうちょっと居たかったのも事実ですがそれを封印し、リフレッシュして東京に戻りました。