輪違屋へ

土日に2日間ほど奈良・京都へ行っていました。
○遡及日誌第一日目
土曜の京都の天気が正直よくなかったので予定を変えて

奈良へ移動して、ひるめしをとったあと高畑町の奈良時代の凸型ピラミッド状の石仏群というか仏塔というか、ちょっと不思議な構造物の、通称「頭塔」へ。首塚じゃないかとか諸説あるのですがこっちは高さ10mくらいあります。なんでこんなものを?と思っちまうのはおそらく奈良時代古墳時代の思考を読み解けない悲しさか、頭が固い証拠かもなんすけど。
でもって高畑町から春日大社へ向かう途中、カメラを構えてたら

そこだけはやめて、ってなところを神様の使いに襲われました。
ついでに書いておくと、カメラがこの直後に動かなくなってしまい10年愛用したカメラの最後の一枚がシカに襲われる図なのが悲しかったり。このあと奈良でも雨が降りはじめ雨宿りを兼ねて興福寺で阿修羅像を見学し、京都へ。
京都へ戻ってきて雨が止んでいたのでホテルで浴衣に着替え夕飯と五山の送り火を見学。送り火見学が決まったあとに浴衣でそぞろ歩く計画をしてて、指図されるのはイヤなのですがそういった企みは好きなので浴衣を購入し着付けを覚えてから京都入りしてました。

大文字は、カメラが壊れてしまっていたのでケータイで撮るといまいちぱっとせず。名誉のために書いておきますが、出町柳駅西の出町橋から目視するとけっこうでかいです。
○遡及日誌第二日目
なんかこう、写メで恐縮なのですが、続けます。

まず伏見稲荷に参詣したあと、西本願寺の西にある島原へ。

いまでも大門が残ってて、この柳の先の門の中が島原です。島原というのは花街です。大門があるというと吉原の連想で東京の人間には遊郭っぽく聞こえるのですが、遊郭と花街の差というのをはずかしながら島原に行くまできちんと知りませんでした。誤解を恐れずにいちばんわかりやすく書くと、一芸に秀でた人というか歌舞音曲に秀でた人が必ず居る遊宴の場所が花街で、歌舞音曲が関係ないのが遊郭です。
で、9月末まで島原のふたつの施設が公開してるのでそれを見学してきました。

ひとつは輪違屋という置屋さんです。風が吹くと儲かるほうではなくて、太夫さんや芸妓さんが所属して太夫さんや芸妓さんを揚屋とよばれる施設に派遣する商いをしていたところです。いまでも置屋さん兼揚屋として営業していて、ふだんは一見さんお断りの店です。

江戸末期に建てなおされてるのですが、床の間などに数寄屋造りの意匠が施され、写真不可の場所なのですが道中傘をはめ込んだ間やほんものの紅葉を型にして模様をつけた間などがあり、細部を観察してると建物だけでも見ごたえがありました。カメラが壊れてしまったのがちょっと悔しいです。
ここでは「かしの式」というシステムがあり、お見合いっていうかお気に入りの太夫さんを選ぶことができます。太夫さんは歌舞音曲以外にも茶道や華道書道のたしなみがあります。男が女性を選ぶように見えながらも、でも男のほうとて一定のレベルのようなものが要求されるのかなあ、と思わされる痕跡がありました。たとえば足が遠のいてる男のひとに対しては太夫さんが「なぜ逢いにきてくれないのか」というような手紙を出すことがあるそうで、その下書きがふすまに貼ってありました。毛筆なので読めないのですけど、きれいで文字だけでどんな人なのかなあ、と思わせるものでした。きたら返信をかくことになるでしょうから、機転をきかした返答ができなかったり字がきれいでないと恥ずかしいはずで、お金の問題ではないそれなりのレベルのひとでないとこういうところでは遊べないと思われます。この時点で、不器用な字が汚い東男にはムリなシステムかもです。
文字つながりで書くと太夫さんだけではなく、(どちらかというと無骨な)近藤勇の書なんてのも残ってます。ただ近藤勇に限らず書はほんとはたくさんあったらしいのですが、残さず処分してしまったもののほうが多いそうで、勝手に表ざたにしておかないほうが良い恋というのもあったでしょうから、プライベートの痕跡を消しておくところが好感もてました。

もうひとつは角屋という揚屋さんです。揚屋というのは神戸コロッケの店ではなくて、置屋さんから太夫さんや芸妓さんを呼んで、宴会を開く場所です。250年くらい前に現在の建物となったのですが西本願寺の西という不便な立地が幸いし蛤御門の変などにも影響をうけずに焼け残らずに済みました。江戸期の当主が俳人であったために与謝蕪村の描いた襖絵なんてのが残ってます。
角屋は大宴会も可能な作りだったので幕末には佐幕派も勤皇派もここで宴会・会合を持っていて、そらそうだよなー固い話ばかりではなく酒飲んで食事くらいはしたはずだよなあ、と知らなかった日本史をかいま見たような感覚です。ただし祇園などに比べて不便なこともあり昭和60年に営業を止め、いまは営業をしていません。しかし使用していた椀やかまどはそのままです。

そこらへんにあるものが江戸や明治とつながってる・いまは過去の地続きなんだよなあ、ってのが変に実感できる場所で、けっこう興味深かったです。
ひるめしのあと、午後の飛行機で帰京しました。