こがねいもを買いに

人形町というところがあります。実はそこの重盛の人形焼を買いに途中下車したのですが、お休みでした。ここのは個人的に好きで、手土産にしようと考えたのです。

打ちひしがれながら(おおげさな)知らない街ではないので、どうしようかな、と考えてすこしぶらつきます。人形町の正式な地名はいまは日本橋人形町です。最近だと東野圭吾さん作の連続ドラマの舞台になってます。以前は人形師が住んでた、というので人形町なんすが、ほかには江戸の一時期、明暦の大火まで吉原がありました。

大門通りといってかつて吉原大門があったあたりへ通じる道です。門はいまはありませんがなぜか通りの名前だけのこっちまいました。ここから浅草の北へ行ったので、現在の吉原を新吉原という場合があります。対してこちらを元吉原といいます。

もちろん、面影はありません。関係あるかどうかはわかりませんがいまの人形町にはかつて陰間茶屋がありました。東海道中膝栗毛のなかにもこのあたりのことがちらっちらっと出てきます。風呂釜の底を踏み抜いて宿に二朱払った弥次さんに対して芳町(いまの人形町の一部)ではカマ(男)は二朱では買えないよ、なんてでてきますが、二朱がいくらかはわかんなかったり(喜多さんは陰間茶屋の出身)。

浜町緑道(掘割のあと)に弁慶の像があります。奥に見えるトイレに入るのに勧進帳を読みあげてるわけではありません。他にあったのが芝居小屋です。市村座と当代の勘三郎さんの祖先にあたる人物がはじめた中村座がありました。江戸歌舞伎にゆかりの深いところです。ただし水野忠邦天保の改革でこれも浅草へ行っちまいます。

江戸幕府が終焉を迎えた後に開いたのが明治座です。甘酒横丁の奥にあります。歌舞伎は去年ちょっとやったのですが、いまは主に歌手や有名な俳優さんを主役に据えた演劇をやってます(今月は浅野ゆう子主演の黒蜥蜴)。明治座と経営者が一緒なのが濱田家さんで、もともとは置屋さんだったんすが、いまは和食の店として有名です。簡単に置屋さんって書いたのですが幕末から明治にかけては花街で芸妓さんが居る街でした。

ちなみに谷崎潤一郎の生家なんてのもあります。三味線が聞こえてたかどうかはわかりませんが、明治期の華やかな花街だった頃の人形町にいたのなら、日本の伝統美に進んでゆくのもわからんでもないなあ、と思うのです。

このあたり、美味しいものもあります。

親子丼で有名な鶏料理の「玉ひで」。たまご料理は苦手なんすが、ここのだったら食べれます(ぜいたくな)。

すきやきの今半です。惣菜屋さんを兼営してて焼豚や煮豚、コロッケが美味です。美味ですけどけっこうボリュームがあります。

しばらく考えて、手土産は壽堂の黄金芋にしました。現物は渡しちまったのですが、サツマイモの形をしながら、黄味と白あんだけで作った不思議な、でも美味しい菓子です。食べた瞬間どういう顔をするかが気になったので、買ったんすけども。
つか、ものを食べてるときの顔って、つい見ちまうことないっすかね。なかったらすいません。