「有頂天家族」を読んで

森見登見彦さんの有頂天家族幻冬舎文庫)を読みました。面白かったです!で済ますのはもったいないのでいくらか書きます。

多少のネタバレになるのをお許し願いたいのですが主人公は狸で、出てくるのは主人公の狸のほかには天狗と人間です(こう書くとなにを云ってるかわからないと思いますが)。ファンタジーといえばファンタジーではあるのですが、しかし文章がところどころ講談を文字起こししたようなリズムのある独特の文体です(正直に書くと慣れてしまうまで最初の数ページはとっつきにくかった)。そして

「信じてはいけない、樋口一葉というのは、雨樋の端に枯れ葉が一枚引っかかってるということさ。秋の寂しさを表した四文字熟語だ」

「さすがだよ、兄さん。僕もおおかたは分かっていたんだ」

(「有頂天家族幻冬舎文庫・P86)

 (上記の部分を地下鉄の中で読んで吹き出しかけてひと駅近く堪えるのに必死で以降地下鉄の中で読むのをやめたのですが)会話を含めて文章が不意に読者を笑わせにかかることがないわけではないのでファンタジーというくくりは妥当ではないような気がしないでもないです。でも内容は思いもよらぬ奇想天外で痛快な(主人公は人ではないものの)ある家族の物語です。

些細なことなのですが非常に緻密に伏線が張られ、ラストに向かってその伏線を回収してて唸ってしまっています。また舞台は京都で、糺の森や六角堂、夷川発電所南座や新京極六角公園といった京都ゆかりの地名が出てきます。絶対ありえない現象が物語の中の京都で起きるのですが、読み終わったあとでは「あり得ないことが起きてても不思議ではないかもな」と思えるくらいにはなっています。なんだかすごいもの読んだぞ感のある、蠱惑的で知らぬうちにひきずりこまれる物語でした(私にとっては)。

以下、くだらないことを。

世に蔓延する悩み事は大きく二つに分けることができる。ひとつはどうでもよいこと、もうひとつはどうにもならぬことである。そして、両者は苦しむだけ損であるという点で変わりはない。努力すれば解決することであれば悩むより努力する方が得策であり、努力しても解決しないことであれば努力するだけ無駄なのだ。

(「有頂天家族幻冬舎文庫・P72)

本筋とは全く関係ないのですが、努力して解決しない事態に直面して引用した言葉の通りにするかどうかは別として(つまり無駄な努力をしてしまうことはあるのだけど)、6割くらい似たようなことを考えて生きているので、読むまでおのれが狸か狐かなんて意識したことが無かったのですが読んでいて「ああ、おれは狸であったのか」とおのれを再発見しています。この歳になってそんなことに気がつきたくはなかったのですが。

東京の状況はなんだか第三波に向かって全速力で突っ走ってる感もあるのですが・それとはまた別にちょっと忙しくなりつつあるのですけど、続編もあるようなのでそれを楽しみに日々やり過ごします。