NHKに若い研修医をあつめてベテラン医師と一緒に事例研究をする番組が秋までやってたのですが、目上の人へ敬語・丁寧語をつかう研修医に対してあるベテラン医師の先生がフランクに話かけてるのを見てて、ああーこの人は見えない膜を破ろうとしてるな、なんてわかったのですが、いくばくか経験をつんで敬語・丁寧語を遣われる立場になるとその膜がなんとなくわかります。オブラートに包んだものの云いかたをしてくるのです。だから、なんとなくどこかあいまいな、ほんとは切迫してるのかもだけど、まだ大丈夫なのかな、ってなふうに思えるときがあります。
敬語とか丁寧語というのは場所によっては「水臭い」印象を与えちまうので注意しないとまずいのですが、かといって「親しき間に礼儀あり」ってのもあるので最低限の礼儀は弁えたい、そこらへんの塩梅・さじ加減ってむずかしいってことも承知してます。ぐだぐだ考えてるうちにことばに不可視の膜ができて、ほんとに伝えたいことがうっすら伝わりにくくなってるのかも、とか勝手に推測してます。同じペーパーをみせて説明してても、丁寧語をつかったときにちゃんと伝わってないことからくる反応が人によってはたまにかえってくることがあって、ああ、敬語とか丁寧語が必ずしも自在に扱えてない私の言葉遣いがそうさせてるのかなあ、と考えることがあります。フランクにしゃべれたらな、なんて思ったことがありますが、なかなかそれは相手によっては難しい。
でもって、常に敬語・丁寧語をつかうってのはなにかしらの距離がそこにあって、そこでなにかを伝わるっていうのは紙飛行機を飛ばすようなもので、言葉の問題と同時になんとなくタイミングがあるのかなあ、きちんと状況を見極めないと伝えることは難しいなあ、なんてこともややこしいことを伝えるときに考えちまいました。
正確に伝えようとすればするほど、日本語ってどこか難しいっす。