東京国立博物館には通称マリア観音とよばれるものがあります。中国製の稚児を抱いた磁器の慈母観音像で、幕府がキリスト教布教を禁止した禁教時代に長崎においてつかわれていたもので表向きはキリスト教を信仰してないように見せかけて、観音様をマリアとして祈りをささげていました。見学したときに知ったことですが東京国立博物館にあるものはすべて安政年間に長崎奉行所に収納されてたものです。おそらくなんらかのきっかけで見つかってしまったもので経緯や背負ってきた歴史を想像して「うーん」と唸っちまったのですがっててめえの感想はともかく(なお禁教下で聖母マリアが観音様に擬せられたのは長崎市周辺です。不思議なことなんですが長崎県北部へ行くとキリスト教が神道の土着の神様と一緒になります)。
東博のマリア観音以外にも禁教下の痕跡はあります。
長崎の大浦天主堂のそばの近接して旧羅典神学校という建物があってそこに禁教下でのキリスト教徒の資料がかなりありました。キリスト教が禁教となり、教会は存在せず、また本来なら行事をつかさどる司祭たちは既に追放令がでてましたから日本におらず、改宗せずに残されたキリスト教徒たちは全て自前でやっていて、手作りで信仰に則った暦を作りそれを代々引き継ぎをし管理して、それを厳格に守って信仰を維持しててその暦も残存しています。またちょっと痛切なのは葬式に関する資料で、禁教下の当時は寺の檀家として誰もが表面上は仏教徒として生きてたわけですが、葬式も仏式で、仏式のほかにひそかにキリスト教に則った葬式もひそかに挙行し死んだ者を最後にはキリスト教徒として天に昇らせたのですが、そのときに詠んだと思われる式の祈りの文書も残っています。秘かに伝承されてきたものです。
東博のマリア観音は対象から外れてるはずですが大浦天主堂をはじめとした禁教下の潜伏キリシタン関連の史跡がここで世界遺産になりました。ずいぶん前から運動をしていたのを知っていたので長崎の方々の苦労が報われて良かったなというのと、日本史の暗部でもあって、その暗部に光が当たることは後世に歴史を残すことにもなるのでその点でも良かったな、と思っています。
ただ残念なのは浦上教会が外れてしまったことです。浦上は禁教下でもキリスト教徒が信仰を守っていた場所で浦上をなんで指定しなかったのか謎なのです。大浦に天主堂が出来たあとに幕末の浦上の人たちはキリスト教徒であることを公然と表明するようになりました。明治政府は彼らを弾圧しキリスト教徒が3000人以上浦上にいたのですが全員根こそぎ山口県や愛媛県ほか西日本各地へ追放されます。これを「浦上四番崩れ」といい、海外からの抗議により戻ることが出来た人やいったん棄教したものの再度入信した人々が寄付をしあって信仰を守ってきた浦上の地に聖堂を立てたのが浦上教会のはじまりです。ところが第二次大戦中、長崎の中心部からちょっと離れてる浦上に原爆が落ちました。爆心地はこの教会のそばでいまあるのは戦後再建されたものです。
破壊された前の教会の遺構も残ってるのですが、せめてその遺構だけでもなんとかならないかなあ、と思うのですが、難しかったのかなあ。