フランスという国にはライシテというのがあります。このことは前にも書いたかもしれません。フランスはキリスト教徒の多い国ですが教会は政治に口出しをしませんし政治は宗教活動にあまり口を出しません。100年以上前にそれを決めてて、宗教と政治というのが切り離されています。ややこしいのですが、宗教を排斥するものではありません。伝統的キリスト教的慣習と個人の人権がぶつかるとき、個人の人権が先に優先されます。フランスは現在同性愛に関して許容度の高い国でありますが、伝統的キリスト教の思考のようなものを社会に持ち込ませない・宗教的なものを公共空間に持ち込ませない歴史の結果です。人間みな同じでなく差異がある人や宗派や民族が共存する必要性があって、それぞれ宗教色を出さないことを前提にフランス社会が機能しているものの、信仰に関することについてはどうやって折り合いをつけるかは若干頭が痛いところです。でもっていまのフランスの根っこには自由・博愛・平等の旗の下に(神や仏ではなく)理性的な人間がより良い社会をつくる、ということを前提にしています。その前提のもとフランスにはキリスト教徒もユダヤ教徒イスラム教徒も仏教徒もなんとかやってきました。
ところでアラーがムハンマドに託したクルアーンと、預言者の言葉を集めたハディース、それらを統合したイスラム法たるシャーリアってのを前提に、イスラムの国々のいくつかは成り立つべき、という理想というか発想があります。イスラム教の国々のすべてがそうではありません。トルコのように欧州と価値観を共有できるような政教分離がある・イスラムのシャーリアとは距離を置く政治体制を敷いたところがあります。が、イスラムのものの考え方をつきつめれば根っこの根っこの部分では政教分離ってのは相容れないところがあるはずです。厳格なイスラムの教義にのっとって、っていうのは題目っていうか理想としてはわからないでもないのです。穏健的なイスラムの国(≒欧米と似通った多様な価値観の共存を前提とした国)ができれば良いと考えてフランスも介入しているシリアで起こっている厳格なイスラム社会の建設を潰す動きというのに反発する勢力が居るのも理解できないわけでもありません。多様な価値観の共存を前提とした「自由・博愛・平等」を支えるものと信仰とどっちが大事か、といったら信仰で、それがテロの根っこの部分にあるのは間違いないのだろうなあ、とNHKのニュースをみて、考えていました。
多様な価値観の共存を前提とした「自由・博愛・平等」と信仰のぶつかり合いをどうやって解決すればいいのか、価値観が共有できないとき果たしてどういう解決法が可能か、シリアとフランスだけの問題ではないような。厄介な時代になったなあ、と思いました。