北参道・神宮外苑

北参道という駅が営団地下鉄副都心線にありましていままで気にもとめてなかったのですが、ブラタモリの録画を見てその駅名の所以が氷解しました。

問題の?北参道です。山手線の向こう、道路の奥が明治神宮の森です。明治神宮のある森のことを内苑と呼ぶことがあります。

反対側は明治神宮外苑方向へ伸びてます。明治神宮に隣接して外苑があるわけではありませんで、ちょっと離れたところに明治神宮の外苑があります。内苑と外苑とをつなぐ道としてここに幅36mの人の通る北参道馬車道・車道が整備されてた、ということを番組で知った次第。もと馬車道の上の首都高があります。この上の首都高は中央線からよく見えまして車窓からはよく知ってるところなんすが、そんな過去があったなんてつゆ知らず。云い方は悪いっすけど首都高は江戸・明治の遺産の上に成り立ってるんだなあ、と。

北参道を東進して千駄ヶ谷駅そばにあるのが都立東京体育館。いわれてみればなんとなくカニににてるかもしれません。

千駄ヶ谷鳩森八幡神社です

でもって富士塚。江戸期寛政年間に作らてた人造の富士山で、溶岩を一部富士山から持ってきてます。山頂には祠があってその祠ごしに江戸から西に見える富士山を遥拝できるように設計されてます。いまからは想像できないのですが富士信仰というのが江戸にはありまして、講という集団を組んで富士登山を行ったりしてまして、さらに富士信仰エスカレートして富士山に見立てた築山「富士塚」が関東の各地に作られてて(私の育った街にもありました)一定の勢力を保持してまして、加持祈祷とかに関係してくるのですが一時期禁教扱いになってた時期もあるようです。ついでにいうと北斎自身が富士信仰を持ってたかは定かではありませんがそういう背景があって「富嶽三十六景」は刷られてます。そういえば霊峰富士なんて言葉もあることを思い出すと、やはり信仰の対象だったんだよな、と腑に落ちるんすが。考えてみれば「一富士二鷹三茄子」なんて縁起物の世界にも富士山は残ってますよね。

ちなみに千駄ヶ谷っていうくらいで、坂道があります。


神宮外苑にはいくつかのスポーツ施設があります。外苑に以前はプールがあったんすがいつの間にか消えてて、ちょっとびっくり。

消えてないのもあります。有名なのが国立競技場。サッカーはあまり興味がないせいか、いちども入ったことがありません。

あと忘れてはならないのが神宮球場で、こちらは明治神宮のものです。右側の建物は第一球場で、左が第二球場。第一のほうはヤクルトスワローズの本拠地でもありますが、ほんとは大学野球の球場です。母校の応援で来てます。いまでも母校の応援歌はそらで歌えるなあ。野球部じゃないんすけど、野球は嫌いじゃありません。肩さえおかしくなければ野球はやりたいくらいっす。

第二球場三塁側より。第二球場は高校野球等に使用しますが、試合のない日は打ちっぱなしのゴルフ場になるはず(記憶が正しければ)。

つば九郎先生です。ヤクルトファンではないんすけど、小川監督就任以降の一昨年の「メークミルミル」、去年のクライマックスシリーズ進出などをみてるとヤクルトは不思議と気になるチームなんすが、今年の活躍を期待したいところ(つば九郎先生じゃなくて、チームが)。

神宮外苑にある聖徳記念館。外から眺めたことはありましたがなんの施設かは今回初めて知りました。内部は横窓がありませんで、屋上の明りとり窓から光が漏れてくるのですが、これまたよく考えられてまして、唸らされました。でもって明治天皇の足跡を鏑木清方ほか著名画家が描いて展示してあります。ついでに書いておくと今日知ったのは明治天皇践祚したのは元服前で、絵画を追ってるうちにその若い天皇を中心に据えてよくやってこれたな、という感慨を持ちました。もしかした「若い」というのは「怖いもの知らず」でもあるのかもしれません。明治の精神ってのがなんとなくわかったような(でもほんとはわかってないかもですが)。

まだ満開ではないのですが桜は外苑のあちこちで咲きはじめてます

私は絶望的に詩的な人間ではないので桜を観ても短歌を詠んだり詩を書いたりはしないのでへたなことはいえないのだけど一方で「私的な見解」というのが実はわりと重要なんじゃないかと思っていたりもします。
美しいといわれやすいものに関して「これはきれい・美しい」という「私的な見解」というもののうち、多くの賛同を集めたものがたぶん世の中での審美眼とかいうものになるのではないか、と思ってて、さくらなどはだれもが賛同を集めやすいのだけど、でもそれは常に誰にも妥当するものじゃないのではないか、と。というのは、正直書くと、このさくらをみた時にちょっとぎょっとしたのです。いくらか怖いというか。ちゃんと書いておくと、私は「なにがエロいか」ということに関して多くの人と違うんじゃないか、と意識してて、巨乳みたいな人もダメだし、筋肉隆々の人もダメだし、いわゆる熊体型みたいな人もダメだし、世の中において良いとされてるものはあんまり興味がない。だから○○が良い、といったときに「えー」といわれる確率は高い。そういうときに「わたしは」とつけたほうが抵抗は少ないです。たぶんそれが美の世界にもあるのではないかと考えてて、【あんたはどう思ってるの】というのが実は重要なんじゃないか・「個人的に好き」という表明は決して悪いことではないんじゃないのかな、と思ってるんすけども。好みに差異があってもおかしくないのに、他人にあわせる必要はないんじゃないかと。ただなにをかいても・真面目に書いても「面白いこと言う」みたいな誰かが持ってる「正解」との差異について(面白いという概念は面白いということを言う人がほかの真っ当な解があると信じてるからこそ存在が許されるえらい上から目線のことばなんすけど)、指摘されたりするのでしんどいので、あんま云わなくなったんすけども。

有名なイチョウ並木。もうしばらくしたら芽吹くかも。そうなったらここは文句なしにきれいになります。