早稲田の森

早稲田です。昨日の昼に撮影。

早大のとなりの甘泉園というところ。紫陽花が咲いてました。もともとは大名の屋敷だったところです。新宿区という土地柄(早稲田は新宿区にあります)しょうがないといえばしょうがないのですがすぐそばに高層ビルがたっちまって風情はあまりないですけど、早稲田にはまだこういう、木の多いところもあります。
他大出身の私でも知ってる「都の西北早稲田の森に」ってな早大の校歌がありますが

実際に早稲田は↑こんなところ↓もあります。

建物は演劇博物館っす。
森の中っていうにはちょっと厳しいですが、早稲田大学ってのは一部は林とも森ともつかぬ木々の中にあります。大学生時代に早稲田に用があってきたときに(母校と違ってやたらと広い)キャンパス内を歩いてあー早稲田の校歌はほんとだったんだー、と笑いたくなったことがあります。


大学時代ってのは勉強嫌いな私にとっていくつか転換地点でもありました。中学高校のときに比べて、いまでも勉強の内容を強烈に覚えてるからです。インプットしたのが一番最後、ってのもありますが、それまでの読めばわかることだけを必ずしも扱ってるわけではなく、臓器移植の問題もそうですけど妥当性を争ってて、どれが正解か正直よく判らない部分がある、っていうのが大学の授業にあったせいもあるかもしれません。ウオーリーを探せって言う絵本がありましたけど、ウオーリーがいるかどうか判らないしそもそも誰がウオーリーだか判らないけど、ともかくそれと思しきものを探せ、答えがあるようでないようで、しかもどこにあるのかわからない、ってのがあるのはちょっと衝撃的だったわけです。で、関心を持った分野はいまでも引き摺ってます。昔の衝撃を思い出して、ウオーリーを探しちまう・それほんとにウオーリーなの?ってなるわけっす。たぶんそれは勉強の副作用のひとつかもしれません。


で、もっと砕けたことかくと、最近、桃の花の写真を載せて「キレイってなんだー」なんてやってましたけど、そのキレイってなんだー、ってのが引っかかりはじめたのは大学の授業がきっかけです。キレイって言葉に引っかかって未だ解決を見ないわけですが、キレイに限らず言葉でも「これはなんだろう」って思うことが大学以降は多くなりました。少なくともその言葉の背景とかにはいろんなことが詰まってるはずで、理解するためには「早稲田の森」みたいに「ああこんなところなんだー」って実地で経験すればいちばんですがそういうわけにもいきません。自分の経験の蓄積だけではなにかを理解するには間に合いませんから他の人の話を聞いたり本を読んだりして蓄積を増やして言葉を貯めてかないと、ってなことはいまでもやってます。ただなかなか蓄積量のメータがあがりません。