今出川通

07年12月第一週のテーマ「寄り道」(Jammin’Words 〜 交差する言霊)より 



清水寺からほど近い八坂の塔のそばに二寧坂というのがあります。あるときそこに「甘党の素通りできぬ二寧坂」というのが書かれていました。実際に甘党の人が寄り道する姿が多く見うけられます。しかしほんとはその坂で転ぶと二年以内に死ぬ、という言い伝えがあるくらいの場所で、そんなとこ、はよう素通りすれば良いものを、と思うのですが、多くの人はそうしてません。知ってか知らずか、盛況なところをみるとそこには寄り道するだけの、言い伝えより強い魔力がやはりあるんだと思います。甘党にとっての甘味ってのはほんとわかりやすいですけど。
わかりやすい魔力ならいいですが、その場の魔力についてというか、なんで寄り道するかということを、他人に対してはなかなか説明しにくい場合があるんじゃないかと思います。


私は河童に会うために、寄り道したことが何度かあります。もちろん本物の河童じゃないですけど。福岡の繁華街の天神に岩田屋という百貨店があって、その岩田屋に地下街から直結するエスカレータの脇に階段状に実は河童が数匹居たのです。その数匹の河童が噴水になっていて、一番下の河童も一番上の河童も適当に水が発射される仕組みで、いちばん下の河童が発射した水が放物線を描いて別の河童に当たり、やられた河童が別の河童にやりかえす。それが効果音とあいまって河童がじゃれてるように見えたのです。いちばん最初河童のじゃれあいを見たときに目が釘付けになり、その後も仕事で福岡に何度も行ったのですが必ず時間をやりくりして岩田屋に寄り道して、河童に再会の挨拶を心のうちでしていました。しかし今から考えると自分でもなんでその場所が好きだったのか、わざわざ寄りたくなる場所であったのか、いまいち他人に論理的に説明できる自信がありません。強いて言えばそこだけ緩やかに時間が流れてたとか、魔力を持った河童たちが呼んでた、としか言いようが無いのですけど。


観光地の場合は寄り道するだけの価値があるかどうかってのは極めて主観的なものだと思うので相手がそこを魅力に感じるかどうかはほんとは判らなくて、あまり他人には寄り道すべき場所ってのを勧めたりしたことがありません。しかし相手によってはその場所に寄り道して連れて行きたい、ひょっとしたら「そこ」の魔力をこいつならわかってくれるかもしれない、と直感的に思って、行動にうつしたことが有ります。根拠もなにもなくて、ほんと無鉄砲なんですけど。
京都旅行のときのことです。日頃互いに忙しいと知っていてその日も急な呼び出しで東京に戻ることを阻止するためわざとケイタイの電源を二人とも落としてて、そんな具合でも途中で何気なく時計をちら見した彼を見て、わがままを言い、その後の約束をずらして烏丸今出川で途中下車し、すぐそばの御苑周辺に連れて行きました。
もともと「そこ」は同志社に用があって来たときに惚れこんだ場所で、何がいいかといえばこのあたり、うっそうと生い茂った木々に囲まれていて、なおかつ自己主張のうるさい建物もなく落ち着けて、どこか緩やかに時間が流れる空間なのです(すくなくとも私にとっては)。御所があって、近くに冷泉家があるとかそういった歴史の流れを感じさせるってのもあるかもですけど、そこに漂う魔力を表現力のない私は巧くは説明できず、なんでこの場所が好きなのかとかも明確には云えなくておよそ表層的な、言葉足らずの間抜けな説明をその時はしてた気がします。ただ感想こそ訊きませんでしたが、こっそり相手の顔を見ていたら、なんでこの場所に連れてきたかということを多くを語らなくても判ってくれたのではないかとそのときは思いました。たぶん、無鉄砲は成功したはず。


やはり時計を気にせずとはいかなかったけど、その空間にぎりぎりまでいて、同志社前から今出川通を東へ向かいました。そのうち河原町通にぶつかり、さらに東へ向かうと京阪の出町柳駅です。その手前に賀茂大橋があります。高野川と鴨川がY字型に合流するところなんですがその加茂大橋のちょっとだけ北に、川を飛び石で渡ることが可能なところがあるのです。何故そんなものがあるのか謎なんですが、彼はそこに魔力を感じたのかもしれません。約束の時間まで余裕がないのだけど、彼は橋のたもとでその飛び石を目ざとく見つけるとあっちのほうへ行こう、と云って橋を渡らずに鴨川べりへ誘導しだした。彼の体内で緩やかに時が流れはじめ、たぶんなにか魔力にやられてたのでしょう。なにも夕暮れ時に、それも時間がないのに遠回りして渡らんでもいいじゃん、と喉まで出かかったけど無粋だし相手が楽しそうならそれでいいやと飲み込んで、その飛び石で川を渡りました。
半歩程度先に進んでた相手が振り返って待ってて、追いつくと、そっと手を触れてきた。んなもの必要ねーよと思いつつ(誰もいなかったから大丈夫かなってのと、なんだか嬉しかったので)手を払いのけることができずにその手に触れたんですが。


このときから他人に理由を言いにくい、たぶん他の人にとっては「そこ」は魔力を感じないであろう、しかし私にとっては寄り道したくなる魔力を持つ場所が今出川通でもう一つ増えました。
過去のでもいまだに加茂大橋と言う文字を見ると、そのときのことをなにかの拍子に思い出すことがあります。たぶん、いまだに「そこ」のもつ魔力から抜け出せてないのかもしれません。


寄り道したくなるところって、どこかやはり他人に説明しずらい、理屈じゃない魔力が有るような(もしくは魔物が住んでるような)気がしませんか?