呼吸

08年2月第2週のテーマ「無力感」(Jammin’Words 〜 交差する言霊)より 



東京から特急に乗って二時間以上かかる山間の町へ、夏にオペラを鑑賞しにいったことがあります。


激しいチケット争奪戦の末、そのとき取れた席はS席だけど一番手前で目の前はビオラって言う席でした。目の前オーケストラピットかぶりつきって言うのは必ずしも特等席とはいいきれません。それを知っていたので会場についてがっかりしなかったって云ったら嘘になります。一緒だった相手にはそういう顔を見せませんでしたけど。
ところがマエストロが登場して、オペラがはじまるとこれが残念席どころかなかなか面白いポジションだってことがわかりました。舞台も観ていましたがその席からはオーケストラピット内もうっすらわかるのです。それほど遠くないところにマエストロが居て、その向こうにはコンサートマスター以下バイオリンがいます。その席に居てわかったのは、マエストロの指揮棒はいくらか早めに拍を打ってることと、それとかなり音楽に重要なのは呼吸だ、ということでした。


呼吸があってると、タイミングが一致しやすく一体感が出てくる。


書くと簡単だし楽器というものが人の声の代替品という考えからすればそれほど別におかしなことではないのですが、私はそれをあらためてその場で知りました。マエストロがオケやコーラス、歌手と呼吸を合わせてるのが手に取るようにわかったからです。なんで手に取るようにわかったかといえば、鼻息というかマエストロの呼吸の音がわりと聞こえたからで、その呼吸とコーラスや歌手の呼吸が連動してることに気がつき、試しに呼吸を合わせてみると何かが良い意味で違う。その呼吸のタイミングさえあわせれば、こっちも譜面なんか無くても舞台の上で歌ってる歌手とオケとなんとなく一体感が保てる。これがなかなか私にとっては不思議な、目からウロコの発見かつ体験でした。そのオペラを聞いた夜、やっと取れた宿に帰る道すがら、連れてきてもらったことに感謝しながら、呼吸を合わせるってことも大事なんだってことを子供がなにか大発見したようにその体験を伝えた記憶があります。
でもって、呼吸を合わせて一体感がでる。この経験があって、音楽に限らず、呼吸ってけっこう重要なのではないか、と思うようになりました。


ある夜、同じベッドに居てじゃれついたあと照明を消しちょっと経っても「なんだかちっとも眠れない」と相手が訴えたときに、布団の中で筋があちこち飛ぶようなどうでもいい話をしたあと、話が途切れると呼吸が判るくらい傍にいることを利用して、わざと相手と同じ呼吸をするようにしました。すると暫らくすると、眠りに入った呼吸になった。作戦成功です。その寝息を聞いて眠りに入ったことが何度かありました。
もともとなかなか眠れないことが多かったというのは知ってましたし傍にいたところで抱えてる心配や不安をすべて取り除いたり肩代わりすることができないけれど、一体感や共有感のようなものってのは、オペラをあの席で聴いてから実は人を安心させるんじゃないか?と思っていて、その夜、試してみたのです。ほんとに効果があったかどうかわからないし、別の要因で眠ったのかどうか判らないけど、何回もこの手段で比較的高率で眠りに誘い込むことができました。睡眠改善薬が市販されててもそれをできれば飲ませたくなかったし、また、相手のために精神科医でもなんでもない自分に出来ることってそういう初歩的なことしかできなかったのですけれど。けど、些細なことでもなんか役に立った気がして嬉しかったし満足感がそのときはありました。


ところでその同じベッドで寝息を聞いた相手は、今は既婚で別のパートナが居ます。今でもたまにメールを寄越すのですがいくらか前に「最近どう?」というご機嫌伺いと、忙しいらしい近況を知らせてきて、最後のほうに「最近なんだかなかなか眠れない」ということが書かれていました。
眠れないことを教えてもらっても、その解法とまではいかないけどそれをいくらか変える術、緩和する術を知っていても、私はいま、何もできません。緩和をするのは私の役目ではないし、そもそも彼の横で寝るのは今は私ではないから。手をつないで寝たり肌に触れたり、同じタイミングで息を吸い息を吐くという呼吸を合わすこと、字にすると簡単だけどちょっとだけ見極めが必要なことをどういうタイミングですれば良いかを判っていても、役に立てない。そのことが、心がざわつかせます。そしてなによりも単純に困ってるようなのに力になれないことが、もどかしくて仕方ない。
できることといったら、眠れるように遠くから祈ることだけ。


こういうとき、無力な存在だな、とつくづく思います。


 
10年現在の追記→添い寝はしないけど電話やメールの送受信とかはまだなんとなく続いてます。笑わせようとすることもありますが、ちゃんと考えて返信します。そういうことをすることで相手の役に立ってるかどうかはわからないけど、なんらかのプラスになれてんのかなー、なんてことをどこか考えちまうのですけども。