四国

(Jammin’Words 〜 交差する言霊・2008年3月第3週のテーマ「旅行記」)より


霊場を巡拝することは旅行かどうかはわかりません。けど、ちょっとだけ、四国の話をさせてください。
以下、四国で聞いた話です。


四国遍路というのは簡単に言えば、四国にある所定の88の寺院を巡拝することです。巡拝の行為を「へんろ」といい、また巡拝する人はよく「おへんろさん」とも呼ばれます。よくあるパターンとして阿波鳴門の第1番霊山寺から四国を時計まわりに1周して讃岐の第88番大窪寺まで巡拝します。別に1番からはじめる必要はないし反時計回りでも良いし、大窪寺から続けて阿波鳴門へ行き環状にする人も、そこからさらに続ける人もいます。
仮に「Kさん」としておきますけど、がっしりした体格で長いヒゲを生やしていたとか以外は誰も氏素性を知らなかった人が少し前に四国遍路として四国に居ました。過去には不治の病や口減らしなど、さまざまな理由で居住地から追われた人々が四国へきて遍路として終わりのない旅を続け、かの地に骨を埋めてきました。そういう歴史があったせいや、そもそも四国でおへんろ同士で会話してもあまり突っ込んだことは互いに訊かないのがマナーで、俗世の社会的な立場など仏の前や修行の地である四国では聞いても無意味だからと氏素性を誰も深くは知ろうとしないところがあります。ですから「Kさん」がどういうひとなのか、深くは誰も知りませんでした。
四国遍路の場合、一応建前としては弘法大師おへんろさんと一緒に歩いてるという認識なので昔から四国の人はお大師さんに供物を提供するのと同じようにおへんろさんに対して善意で食料を分けたり宿を提供したり托鉢してると僧でなくても喜捨をする文化があって、かの地で定住して働かなくともその気になれば生きていけます。「Kさん」は四国の人の善意に支えられ実家に帰らずにずっと四国を廻り続けてたようです。
で、「Kさん」が他の人とちょっと違ったのは善意で民家に泊めてもらうと一宿の恩義に自作の俳句を作って置いていく、というところでした。俳句を詠む「Kさん」は何年も野宿しながら四国を反時計廻りに巡拝し、複数の人が「Kさん」と面識ができ、知ってる人は知ってる存在にそのうちなりました。暫らくするとその「Kさん」に会おうとする人もでてきたり、更にはアマチュアカメラマンが「Kさん」を取材して彼の写真集や彼の俳句を集めた句集も刊行されました。あるときそんな「Kさん」の噂を知ったテレビが本人を取材をはじめます。で、「Kさん」はそのとき「K」ではない本名や年齢や出身地を名乗ったらしく、取材したテレビは全国に「Kさん」の存在をしらせました。
ところがその放映から一ヶ月と立たないうちに「Kさん」は四国から消えてしまいます。


そのテレビ放映が原因です。


テレビで「Kさん」が出てるのをみておどろいたのは偶然視聴していたある警察関係者です。顔つきは微妙だけど西日本で事件を起こし全国に指名手配がかかってる容疑者の出身地や年齢や名前が画面の「Kさん」の出身地や年齢や名前と一致していたからです。その事件を知っていたので「Kさん」を追っている警察関係者に連絡し、指名手配犯として「Kさん」は四国で身柄を拘束されました。



聞いた話はここまでです。

「Kさん」がなんでテレビに出て本名まで告白したのかは謎です。本人しかわかりません。およそテレビで本名をしゃべれば捕まることは容易に想像できたでしょう。にもかかわらず本名を出して出演したのは「Kさん」が何かに耐え切れなくなったのではないか、それはたぶん四国で人の善意に触れてゆくうちに他人に自らの罪を隠し巡拝を続けることに耐えられなくなったのではないかと勝手に思っています。何かを隠すとか嘘などは別に誰だってすることだと思うのですがそれまで平気で出来ていたものであってもなにかに触れてるうちに時として耐えられないほどの良心の呵責に悩まされることもあるのかなとか、人間には可塑性があるって大学の授業で教わったもののどこかうっすら疑問を持ってたのですが人間にはほんとに可塑性があるってことの一例になるんじゃないかとか、この話を聞いたあと四国でいろいろ考えたりしました。
そしてまた「Kさん」は何を心に秘めて四国を廻ってたのか、氏素性を知ってしまった今、ちょっと想像を絶します。


徳島ではじめて見ず知らずの人にヤクルトや飴をもらってめんくらったり、高知の海辺では台風等の高波の被害を食い止めるためのべらぼうな高さの防波堤をみて驚いたり、愛媛では山を越えるとアクセントも変わってるのに気がついたり、四国で体験したことは数え切れぬほどあります。また、地元の人や出合った人が問わず語りに教えてくれたことが、何故かは判らないけど形はなくとも同じくらい強烈に印象に残っています。で、あるとき四国で逢った人が、なんで問わず語りに「Kさん」のことを教えてくれたのかは正直わかりませんけど、こういう人が居たんだよ、っていうことを知らせたかったのかな、とおもいます。


その話を聞いた私の責務はもしかしてひょっとして記録することなんだろかと考えて、今こうやって問わず語りをしてるわけですけども。


[2011年1月追記]
リンゼイさん殺しのI容疑者の逃亡中の手記、というのが実は今月出版されてます(裁判員裁判に係属してるのでゲスな勘繰りをすればその対策かなあとおもっちまうんすが)。逃走を続ければ情状は当然重くなります。たぶんそれくらい彼はわかってたはずです。にもかかわらず自ら命を絶つこともせず、逃走を続けてました。ある意味で意志の強い人なのかもしれません。で、逃走の間、いったん四国へ行き、四国で遍路をしていた、ってな事実が明らかになりました。どういう心境で四国を歩いてたのか、正直わかりません。が、最後に見つかったときには逃げるわけでもなく、大して抵抗もしなかった、ってなことを聞くと、逃走の間彼は四国でちょっとは変わったのではないか、なんてことを考えちまうのです。ここらへん考え方が甘いかもしれません。
でも人って可塑性がある、ってどこか信じたいところがあります。ちゃんと罪に向き合って、更正して欲しい、ってのがどこかあるんすが。