果報は寝て待て

シェイクスピアの「Julius Caesar」のキャシアスのセリフなかに

Men at some time are masters of their fates:The fault,dear Brutus,is not in our stars,but in ourselves,that we are underlings

というのがあって、「人には運命の主人になるときがある、ブルータス、不幸にもこうなってしまった責任は我々の星にあるのではなく我々に原因があるのではないか、我々がどってことないしたっぱになってしまったのは」って訳そうと思えば訳せるのですが、このセリフの根っこには星が運命を司ると思ってるフシがあります。この文章を読んだときディズニーのピノキオの「星に願いを」を想起して、ああネッド・ワシントンの創作ではなくて英語圏の人はもうシェイクスピアの時代から星が運命を左右してると思ってるのかー、というのを理解した次第です(もっともキャシアスは星のせいではないのではって言ってるわけですが)。
西洋の考え方に星占いってのもあって、私は4月生まれのおひつじ座なんすが、おひつじ座は「熱しやすく冷めやすい」とか「幼稚で猪突猛進」とかぼろくそ書かれてるのをひでーとか思いながら読んだことがあるのですけど、星占いの類はおそらくそういうウィークポイントを星座を根拠に正当化できるので読まれてるだけであって、おのれの明日を星に左右されてたまるかよ、ってのがあったりします(もっともちら見しためざましテレビの占いでおひつじ座が最下位だったときに不注意で柱にぶつかって唸ってしまったこともあるのですが)。
はてな今週のお題が「星に願いを」なんすが江戸の訛りを強く残す両親に育てられて英語圏に育ってないので星が何かしらを左右すると思ってもいないし、なんとかしたいと思っていることに関して多くは自らが動かない限りなんともならないことが多いので、星になにかしら願いを託したことはありません。
というか万に一つ、願い事があったとして実際、夏の空で見つけやすいのはアンタレスですが、アンタレスは619光年の距離がありますからいまからアンタレスに向けて願いをかなえてもらおうとしてもその願いが光速の速さで届くとすると往復すると1238年後なので絶対私は生きていません(桓武天皇が即位直前に夏の平城京で星になにかを願っていたとしたらそれがいまごろ戻って来ている)。冬の大三角のひとつのシリウスは8光年ですから、もし「星に願いを」するなら冬まで待つつもりです、って、いまから16年後、生きてるかなあ、おれ。
やはりそう考えると星に願いごとなどせずに、自力で頑張って疲れたら果報は寝て待ったほうが良いような気が。