情報過多(書き足しあり)

人を介して薦められ、京セラ出身で日航に再建のため派遣された稲盛さんの本を読んだことがあって、稲盛さんの意見・卓見にすべてに同意はできませんが、若干影響を受けています。同意できないというのは簡単で、稲盛さんが成功した事例は過去に成功した事例であって、いまでも通じるかといったらどうだろうというところがあります。しかし基本的なところはかなり腑に落ち・その後に考えさせられました。たとえば出納についてです。本来モノまたはお金と伝票が必ず1対1の対応であるべきで、伝票はあるけど実物がない・モノはあるけど伝票がない、というのを許してしまうと、数字が実態と連動しなくていいもの・数字は操作していいもの、という感覚になってしまう、その結果どんどん数字が実態を表さなくなるので避けるべき、と述べています。根っこには会計はありのままをうつしださなければならないというのがあるのですが、キーワードは「ガラス張り」です。いいことも悪いことも一切包み隠さないほうが信頼感がでるのです。もうひとつ印象的だったのが「強く頼りになるものも人の心」なんだけど「人の心はうつろいやすく不確か」と述べ、一人の人間を罪に追込まなくてすむように資金の管理を「一人ですべてができるようになっていてはならない」としてて、チェックを行き届くようにすべきことを述べてます。信用って目に見えないのですが、おぼろげながら信用というものの本質はこういったところにあるのではないか、と考えさせられました。すこし前にもはてなでよむべきビジネス書50冊なんて書いてあるのを以前ちら見したのですが、私は一冊も読んでいませんでした。でもって稲盛さんの上の内容の書いてある本は載っていませんでした。ビジネス書の範疇からちょっとずれてるのかもしれません。でもって載っていたものを読むつもりもありません。読むつもりがないこと・読んでないことを恥ずべきことだとも思ってないです。たとえばスティーブ・ジョブスの伝記があったのですが、私はIT関係でも起業家でもないので、必要のないものまで詰め込む必要なんかないからです。必要なものはその時点で判断して読むつもりです。ついでに書いておくとビジネス書が怖いのは失敗事例は別として過去の成功事例を取り扱っているものはおそらくそれほど役に立ちません。なんのことはない過去と今では環境が違うからです。ジョブスは誰も踏み入れてないテリトリーを開発しましたが、そこはジョブスがすでに開拓し尽くしてるのでジョブスの得た果実を誰も得ることはできません。未開の地を探すヒントはビジネス書になんかないです。
ブックガイドのようなものを目にするたびに大学生時代からうっすら感じてることですが、なんとなく本をたくさん読んでるほうがすごいという空気は若干しんどかったりします。本を読む、ということはその効用のひとつはおのれの知らないことを知ることですが、ものを知っていることがすごいかというとどうだろう、と思っちまうところがあります。人は百科事典ではありませんから、知らないことを知らないでいることはけっして恥ずかしいことではないと考えています。特にここ数年、おのれと異なる専門分野の人と話してるうちにつくづくそう考えるようになりました。上を通過する人も私より頭がいいですが、知らないことは知らないとはっきり言います。話を戻すとシェイクスピアは大学時代に苦しめられると同時にかなり魅せられましたが(韻を踏みたがるのですがそれはシェイクスピアを読んだからです)、必要がなかったら読む必要もないと思うし、読むべきだとかは絶対いえません。知りたいと思うことならいざ知らず、その人が必要としなかったことを「なぜ必要としなかったの?」と問うことは呑めない下戸の人に酒を強要するような不健康極まりことだよなあ、と思っています。シェイクスピアの予習でかなり時間がとられましたが、そのことを恨むつもりもないです。一冊の本を深く読み込むことも大事である、ということを思い知ったところがあります。それに時間は有限です。大学時代も働いていましたし、いまでも時間を捻出するのはけっこう難しかったりしますっててめえの本を読んでない言い訳はともかく。
ネットではそれなりの情報が手に入ります。このブログにも検索でシェイクスピア関連できたりします。原語の本と辞書をひいて考えるよりも手早くその世界を知ることができます。浮いた時間でより別のものを読めるのかもしれません。ネットのなかった私ら世代からすれば羨ましいかぎりですがネットでも読めばそれなりの知識が入ります。もしかしたらネットというのは人を容易にいろんなことを知っている百科事典にしてしまうかもしれません。本も同じことかもしれません。でも大事なのはネットにせよ本にせよ知識をいたずらに増やすことではなくて「考えること」なんじゃないのかな、などと思うのですが、ネットによるブックガイドのようなものなどの情報過多というのは本をたくさん読まないことを怠惰に感じさせ、一冊の本を深く読むことや考えることをもしかしたら難しくしてるのではないか、という疑義があるんすが、どうだろ。