『スキップとローファー』を最終話まで視聴して

夜に東京ローカルのMXはアニメを流してて、ここのところ『スキップとローファー』(原作・高松美咲)という作品を視聴していました。疲労がひどいので翌朝のことを考えてダイレクトには見ておらず録画してですが…ってそんなことはほんとにどうでもよくて。

11話と最終話である12話は主人公である岩倉さんが通う高校の文化祭がメインでした。いくばくかのネタバレをお許しいただきたいのですが、岩倉さんは参加しないものの岩倉さんのクラスは演劇に取り組み、その演劇には過去に子役の経験のあるクラスメイトの志摩くんが登板し、その子役仲間も志摩くんの出る演劇を見に来校します。その演劇がどうなったのかはキモだと思うので是非本作か原作でチェックしていただくとして、最終話は志摩くんの内面の変化に焦点を当てていて、本作は岩倉さんが主役だけどヒロイン(…ヒロイン?)は志摩くんだったのかもなあ、と改めて思わされています。

この点についてもう少し語りたいのでお付き合いください。

もう幾ばくかのネタバレをお許しいただきたいのですが、志摩くんには血のつながらぬ弟がいてその弟にいくらか遠慮がある描写やまた若干複雑な家庭であることが8話等過去の放送分から伺えていて、志摩くん自身も一時期「母に喜んでもらう」というのが自らの行動の動機になっていて、つまるところ周囲の反応に応じて行動をするところがあり、言い換えれば主体性がさしてない点がさりげなく今までの描写のなかにありました。そしてクラスの演劇でも他人に期待されたので役を引き受けてしまったところがあります。それらの他人の反応が行動の動機になってしまってること自体は処世のひとつとして理解できなくもないのです。その行動を第三者と比較しなければなにも気が付かずに居られます。

が。

吉祥寺の駅で偶然志摩くんの目の前にあらわれたのが、やりたいことをやりたいといい(たとえば8話では出来ると思ったことを自ら志願し)それで失敗してもひねくれない(「私立ち直るのもはやいから」と宣言して行動に移す)裏表のない岩倉さんで、結果的に志摩くんを変えてしまい、最終話後半では志摩くんは志摩くんの意思である行動に出ます。その行動もキモだと思うので本作か原作にあたっていただきたいのですが、それはともかく、そして1話では学校をサボろうとした志摩くんが「学校が楽しい」とまで子役仲間に告げるのがなんかこう、すごく良いな、と思えました。

さて、私は「人には可塑性がある」と思っていて、(志摩くん以外にもたとえば村重さんも岩倉さんと仲良くなり空気を読むのを止めたりとか変化していて)本作にそれを見出してしまったので唸らされてるところがあります。主題は丁寧に描かれてますが、ものすごく地味です。ので、人によって本作は評価が分かれると思います。

そして本作はアニメとはいえファンタジーにはしていないので、たとえば村重さんに対して劣等感があったり志摩くんに近づきたかった江頭さんの描写を含め、人としてどろどろした部分もきっちり描かれています。どうでも良いことを書くと、そのどろどろ路線もカットしていないので、岩倉さんが立ち直り上手だとしても、いつどこで変なほうに転ぶかわからない怖さがあって、どこかで失敗を予期して曲芸を視ているような感覚がなかったわけではなく無駄にハラハラしちまったことを告白します…って書かなくても良いことを書いている気が。

アニメの感想の書き方とかよく知らないのでこのへんで。