たぶん前にも書いたはずなのですが私が10代の前半の頃にはおニャン子クラブというのがいて「セーラー服を脱がさないで」という歌が流れていました。下品な単語は一切出てきません。でも歌詞を知ってどういう情景を歌っているのかは想像がつきます。しかしなんとなく歌うことに抵抗がありました。20の頃にサザンオールスターズが歌っていたのが「マンピーのG★SPOT」で、同じくもちろん下品な単語は一切出てきませんが、何を指すのかはだいたいわかってて、童貞も処女も(よい子のみんなはわかんなくていいです)失っていたにもかかわらずやはり歌えませんでした。知ってることは知ってるくせにそれを口にする・表に出すのが抵抗があるというこの微妙にむっつりで厄介な性格のことはとりあえず横に置いておくとして、「マンピーのG★SPOT」を耳にしてからサザンについてあまり興味を持たずにいて、流れてきたら聴きはするけど自ら積極的に聴いてはいませんでした。
東海道線に茅ヶ崎という駅があって、茅ヶ崎はサザンにゆかりの深い場所でサザンの「希望の轍」がここ5年くらい発車メロディになっています。私は茅ヶ崎駅を年に何度か使うのですが、発車メロディですから全曲流れず15秒か20秒かともかく微妙なところで切れる編曲でなんだか妙に続きが気になって、その段階ではじめて希望の轍を全部聴きました。エボシラインは国道134なのかな?程度にはあのあたりに土地勘があったせいもあって解釈と鑑賞を試みたこともあります。正解は知らぬものの意味的には未来へ走る曲、的な意味なんだろうなと思っています。でもって、希望の轍を含め、サザンの曲をまともに聴くようになったのはここ5年くらいです。二十年近く宝の山を素通りしていたわけで。
話はいつものように横に素っ飛びます。
NHKがサザンの無観客ライブのダイジェスト映像を放映していたのを録画していてそれをものの見事に忘れていて、この週末それを視聴していました。簡単なつまみの準備をしてたので希望の轍の途中からだったのですが、希望の轍の最後のほうで「大変な毎日をご苦労様」と置き換えて歌うのを耳にして画面越しの桑田さんと目が合ってしまったが最後、医療や介護の前線にいるわけでもないにもかかわらず、うるっときちまいました(無言で箱ティッシュを寄越してくれたのはありがたかった)。いまさらなんすけど、いまの状況は「大変な毎日」なのかと改めて思い知った気が。
槇原さんの「林檎の花」は同時に流れていたJRのCMの影響でわたしにとって過去の自分を想起して涙腺が緩む曲なのですが、「希望の轍」もコロナ禍が収束したらコロナ禍の日々を想起して涙腺が緩む曲になりそうな気がします。もしかして歳をとると、なんらかの体験や経験とともに涙腺が緩む曲が増えてゆくのかも