見損ねた「珠玉」

たくさん本を読むことが良いと評価される世の中ではバカにされそうなことではあるのですが、私は高校の頃から複数の特定の作家を繰り返し読むことがあり、そのうちの一人が開高健です。晩年は茅ヶ崎に居住していて(読みはじめた頃には開高さんはこの世に居なくて、さらに娘さんも奥さんもすでにこの世にいないので)その居宅がいまは開高健記念館になっています。

記念館はラチエン通リ沿いにあります。写真にするとわけわかめなのですがエボシ岩をめがけて歩く格好になります。歩いているとなぜか・錯覚のなのか、エボシ岩がでかく見えることがあり、なんど来てもちょっとビビります。

話を開高さんに戻すと本人は医者からはがん告知を受けずにいた(ような)のですが、結果としていちばん最後に書かれた本が「珠玉」です。無粋なことを承知で内容をちょっとだけ書くと、アクアマリンやガーネットなどの宝石に物語を載せてはいるものの単にそれだけではなく、手にした玉を愛おしむように、なおかつ、おそらくかなり注意深く言葉を選びながら紡いだ作品です。遺作となった「珠玉」にまつわる特集展示を記念館でやっているのを知ってはいて、でもほかに読みたい本もあったこともあったのと、もういっぺん熟読玩味してからにしようかな、と訪問を先延ばしにしていました。死んだ父と母が神奈川県下に眠っていていて、展示会期が終わりに近づいているので読み終わって余韻を引きずる彼岸でもあるこのタイミングで訪問しようとしたのですががががが。

管理する記念会の公式ホームページでは19日の段階で何の記載もなかったので「開いてるはず」と思っていたものの、現地へ着いてみると開高健記念館は新型コロナの影響で臨時休館中で、そのまま耐震工事に入るのでしばらく休館が続く旨の表示がでていました。密閉した空間で、場合によっては人との近距離の会話もあり得るので(記念会の人と釣りに関することでわたしも会話したことがないわけでもないので)わからないでもないです。感染症の前に文学は無力なのかも。でもって期待してたせいもあって、臨時休館のお知らせを読みながらその期待の分だけ、茅ヶ崎はアジの押しずしがうまいので「時すでにお寿司」の言葉の裏にある絶望を理解しました…じゃねえ、「時すでに遅し」という言葉の裏にある絶望感と「This ship has saild」っていうスラングの意味する絶望感を体感的にあらためて理解しました。いや、理解したくはなかったのですが。没後30年に関連してるはずなのでともかくしばらく10年くらいは「珠玉」の特集はやらない気が。再読する前に来るべきだったかも。

そのまま茅ヶ崎駅に戻るのもつまらないので(武蔵野の雑木林の中に住む人間は海が珍しいので)、駄賃代わりに海辺をしばらく散策してました。南風がかなり強くて、船は見当たらず。人もまばら。

偶然かもしれぬものの、茅ヶ崎からの藤沢までの東海道線が・藤沢からの小田急も相模大野まで、おっそろしく空いていて、座れるのはほんとありがたいのですが、なんだか出来の悪いSFを視聴させられてる気分でした。もしかして現況はフィクションのSFよりシビアなのかもしれないのですけど。神奈川の現場からは以上です。スタジオにお返しします。